「理想進化」 ショート×ショート(2673文字)

「…俺達って。進化してるのかな」


幼馴染みのケンは時折、妙なことを言う。

「進化?進化ってどゆこと?」

僕は笑いながら、そう軽く答えた。ケンは黒板消しを当てたまま、窓の外の校庭を眺めている。黒板には教師がトレースして描いたオタマジャクシが、次第に尾を失くし、カエルへと変態をしていく過程がリアルに描かれていた。ケンの手は、オタマジャクシのちょうど真上で止まり、そのまま動きを止めている。

チャイムが鳴り響いた。ケンはじっと、校庭を見つめている。ちょうど授業を終えた野球部が、校庭で体操をし始めていた。沈みかかった夕陽が空の低い位置から滑り込み、綺麗に整列した机を、眩しく照らしあげている。


「ほら、教科書によくあるだろ?猿がだんだんヒトの形になっていくやつ。あれを見ると、俺はいつも、不思議な気持ちになるんだ。生物はみんな、年月をかけて、姿も、言葉も、生活も、思想も、その環境に応じて、変わっていくんだろう?でも、当の本人達は、その変化にひょっとしたら、気が付かないんじゃないかって。それってすごく悲しいことじゃない?素晴らしい進化を遂げたのに、それにちっとも気付やしないんだ」


ケンは、勢い良く、手を振り下ろした。黒板には、幼生の姿を消された完璧な姿のカエルが残った。


「ケンは、それに気が付きたいのか?」

僕はまだからかいながら、ケンに言葉をかけた。小さい頃から知っている幼馴染みの横顔はここのところ、少し大人びた雰囲気を纏っている。

「もちろん。だってそしたら、今の、今の俺は、なんて幸せなんだろうって、感じることができるかもしれないじゃん」

僕は、とうとう堪えきれずに大きな笑い声をあげた。ケンはそれを見て、頬を赤く染めた。ケンにはこんなことがよくあった。自分の考えを猪突猛進に話し続け、話し終わると、自責の念を抱き、弱く後悔してみせるのだ。

だが、こんな姿は決してクラスメイトに見せやしなかった。これは、僕しか知らないケンの姿だった。


「でもさ、もし進化に気が付いていたら、それは多分、進化できなかった方なんだろうね。だってそうだろ?環境に適応しようと、姿や思想を変えた生き物は、それを意識せずに、できてしまうのだから、進化をしたと、言える訳だろ?ヒトの変化は随分と年月をかけるから、俺達が生きているうちには、そんなことは起きないんじゃないかな」


ケンは暫く考えると、僕の意見に、適当な相槌を打った。そうしてすぐに、せっかくの思いつきを台無しにされたと、僕を遊ぶような目つきで睨んだ。僕はもう一度、笑い声をあげて、彼に優しく謝り、帰り支度をしながら、再びケンに聞いた。

「じゃあ、俺達が、もしそんな瞬間を見たら、どうする?ヒトは、進化しているんだって、何かの拍子に気が付くようなことがあったら…」

校庭から大きな声が聞こえる。野球部のキャプテンの声だ。甲高い女らしい声が、甲子園出場を決めた部員達に気合を入れ直している。

「そうだなぁ。俺はやっぱり、そのことを受け入れてあげたいよ。だって、それは、ヒトが望んだ本能のようなものなんでしょ?それは多分、とっても素敵なことなんだよ、そう生き物が、本能で選択をしたことなんだから、素晴らしいことに違いないよ」

そう言いながら、幼く笑うケンの姿が、オレンジ色の光の中でより一層、眩しく輝いた。

ケンが黒板消しを置くと何かを払うようにして、両手をぱんぱんと叩いた。電子黒板に表示された文字は電子黒板消しで、なぞれば消えるだけなのに。僕もなぜか消し終わると、あんな行動をしてしまう。

窓から降り注ぐ光はただ強く突き進み、教室を淡く染め上げた。降り注ぐ暖かな光の中で、何かの本能に駆られているように動く、彼の姿を、僕は、心の底から、愛おしく思った。

片づけを終えると、いつものように、二人で手を繋いで校舎から出た。

部活に所属していない人々は、僕等のように恋人同士で帰る者もいた。通学に飛行機を利用している人達は、この時間に出ないと帰りが随分と遅くなってしまうので、どうしても部活に入れない子もいる。

「あ、ケン。やだ、また一緒に帰り?」

校舎内でストレッチをしていた陸上部の一人がケンに話しかけてきた。中には、僕達を見つめて、羨望のまなざしを投げかける後輩もいる。僕達は、学校内でもちょっとした有名なカップルだった。小学生から好きな「ヒト」と高校まで付き合っていられるのは、お似合いのように見えるらしい。

「まっすぐ帰んなさいよ。あたし達はインターハイが近いから。あはは。明日詳しく聞かせてもらうからね」

ケンと仲が良いらしいその「ヒト」は、何か秘密を共有するような目で、ケンと笑いながら、じゃれ合った。姿から察するに、その「ヒト」は隣のクラスの女の子だった。僕は、可愛らしい大きな瞳をしたメスだと思った。早く、校門に向かおうとして、ケンの手を強く引くと、ケンも何かを悟ったらしく、怒んなよ、と笑って、僕の機嫌を窺うようにして、身を寄せた。

「隣の高校、やっぱり来年無くなっちゃうんだって。うちの高校に編入してくる子も結構いるらしいよ」


以前から、廃校の噂のあった高校だった。祖父の話では歩いて通える距離に、昔は小学校も中学校もあったと聞いた。子供の数を考えると、都心の一部を除けば、こんな田舎の高校では、想像もつかない話だった。

「そうなんだ。200キロは離れてるから、また通学が大変なヒトもいるだろうね」

 

僕達は校門に向かって、並木道を歩いた。正面から心地の良い秋の風が、僕達を優しくなでるように通り過ぎて行った。

電子柵越しに、たくさんの老いた「ヒト」が見えた。

最近、急激に数が増えた気がする。高校生の「ヒト」を見ようと、彼等は、こうして通学時間に集まるのだった。大勢の歳を取った「ヒト」の群れ。逆光で、その表情は見ることできない。あの「ヒト」達は、何を求めて、僕等のような若い「ヒト」を見に来るのだろうか。あれぐらいの年代は、まだ年号というものがあった時代の「ヒト」なんだろう。

「平成」という生まれの最後の「ヒト」が百三十一歳で亡くなったと、今朝のニュースで僕は知った。

不安な気持ちが胸に過った。

僕は早足で「ヒト」の群れから遠ざかろうとした。隣を歩く、ケンの体温だけが、妙に心地良くて、確かな気がした。

「ケン、今日もいこうよ」

「え、またかよ。いいけど。リニアカー、今日終電早いから、早く済ませろよ。今日いっぱいカップルいたし、また別のヒト達に会いそうだな」

「そんなに会ったっけ」

「今月、すげぇよ。ジュンとユミ。ミカとエミ。ヒロとタカシ。ほら、三組も」

次々と挙げられる名前を聞いた。僕は、そんな「ヒト」には興味が無かった。

僕の愛している「ヒト」はケンだけなのだ。

「…別にいいさ。俺達は、愛し合ってるんだから」


僕達は、いつものように駅前のラブホテルに向かう。背後から差し込む光は、僕等の行く道をはっきりと照らしだす。温かな熱が背中に流れ込む心地がした。

背後の「ヒト」達は、僕等をいつまでも見つめている。僕は確かな足取りで、歩みを進めていく。

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