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勝手に自分で決めつけないことが重要なんじゃないかなって思いました。【わたし、島で働く】

大人の島留学・島体験に参画した皆さんの来島前・来島後、そしてこれからについてお届けする「私、島で働く。」

来島のきっかけ、仕事の様子、仕事への想い、自分自身の変化など
1人1人のストーリーをお届けしています。

今回は、2022年10月から島体験に参加した石﨑正人(いしざきまさと)さんにお話を伺いました。

石﨑正人さん 東京出身(取材当時大学4年生)
R4年度10-12月期の島体験生として来島しました。

石﨑さんが勤務していた事業所は、「海の駅松島(以降松島)」。
ご家族で経営されている漁師さんの元で3ヶ月間働きました。

島体験生として松島に勤務したのは、石﨑さんが初めて。
3ヶ月で得た唯一無二の経験とは?
ぜひ、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

ー松島で働くことになった経緯を教えてください!

一次産業の現場に行きたいとずっと考えていました。
でも、来島時の事業所説明会で聞いた一次産業の現場は、体を張って働きたいという自分のイメージとずれがあり、配属先を決めきれずにいました。

そんな時、自分の住むシェアハウスのある豊田地区と、地域の小学校の合同運動会があって。テルさん(松島でお世話になった上司の愛称)は、豊田地区の区長さんでもあるので、誘われていた運動会の準備に行きました。

運動会が終わって宴会の時に、テルさんに改めて自己紹介をして、自分は現場と行政の関わりについて学びたいと言ったら、

「うちに来ればいいじゃん?代わりに、運営事務局との交渉とかは自分でするんだよ。」

と言っていただいて。
そこからたまたま場に居合わせていた事務局の方に相談し、その上司の方に、このぐらい(手をいっぱいに広げる)の長文LINE を送りました(笑)
配属に尽力してくれた事務局の皆さんにはとても感謝しています!

仕事中に釣った鯛と一緒に!

ー内定を辞退して島に来たそうですが、どうして一次産業の現場に?

自分は結構口が回るほうだと思っていて。
周囲の人が納得しそうなことを適当に言って、めんどくさいことを回避しながら、今まで何かをやらない理由を作って逃げてきた気がするんです

就職活動の時も、有難いことに内定をいただくことができたんですが、終わってみて自分の薄っぺらい生き方が嫌だなと思えてきました。

さらに、プライドが高くて「わからない」と言えなかったんです。

だから、わからないのが当然な環境に行けば流石に言えるだろうと自分に期待して、一番わからないところはどこだろうって考えた時に、一次産業だと思って。

同じ一次産業でも、過去に島体験生を受け入れたことがあり、ある程度制度が整っていそうな現場の場合、また自分が理由を作って逃げそうだったから、もう言い訳すらできない環境に行きたいと思いました。

職場と自宅が近いので、お昼は毎回家で食べていたとのこと。
料理は変わらず苦手だけど、魚捌き技術は上達!

ー今まで「言い訳」をしてきたとのことですが、どうしてそう感じたのですか?

自分は理工学部で、論理を重んじる世界で生きてきたんです。
何をするにも準備っていうのを大事にしていて、予想を立てて、それに対して行動するっていうのが、自分のやり方だと思っていて。

その自分のやり方を突き詰めてきた結果、自分の予想を現実が超えないという状況に陥って、、

なんだか凄いことのように聞こえるかもしれないんですけど、結局は自分ができることにしか挑戦していないんじゃないかっていう不安があったんです。

だからこそ、自分ができることだけに挑戦して残りの人生を貫くのか、違う生き方をするのか、判断をしたくて旅に出たっていう感じです。

インタビュー中の様子。島体験に来る前は、
岩手県、石川県、長野県へも旅をしていたそうです!

ー漁の現場はどんなところが厳しかったですか?

船の上では命がかかっていて、数秒で意思を伝達しないといけないので、
怒鳴られるしかないって時があります。

側から見ると怒られているようにしか聞こえないんですけど、論理的に伝えることができないから、

「正人ーーーーーーーーーーーー!!!」と叫ばれるしかなくて。(笑)

最初は怖かったんですけど、テルさんは船から帰るときに、
「さっきは怒鳴ったけど、こういう理由があるからこれからは直したほうがいいぞ?」みたいに優しいフィードバックもしてくださる。

口では厳しいことも言いながらも、後で理由も教えてもらえて学ばせていただけて、そんな素敵な方々が集まっているのが松島でした。

だから対人関係に悩んだことは一回もなくて、どちらかというと、何もできない自分の不甲斐なさに悩んだ日々でした。

自分が一番ネックだったのは、結局自分だけが経験を積ませてもらって、何も返せていないことで。
他の島体験生とも同意見だったんですが、こんなにもお世話になってるのに、3ヶ月以内に何も恩を返せないことがずっと悲しいと思っていました。

石﨑さんのお気に入りスポット、明屋海岸。
悲しいときはここに来て大自然に癒されたそうです。

この島体験を利用して自分の経験につなげたい、という個人的な思いはもちろんありますが、その過程でお世話になった人のことを蔑ろにしたくないとも思っています。

テルさんにはすごくお世話になったので、何か海士町に還元できる生き方をしたい。
島を離れて物理的な距離があったとしても、自分の生き方次第では巡り巡って恩を返せるんじゃないかなと思ってます。

12月最後の活動報告会をテルさんが見に来てくださって、「よそ者と思ったことない」という言葉をいただいたときは、激アツでした。

活動報告会での様子。

ー仕事の以外の時間の過ごし方を教えてください。

人との関わりを重要視していたので、いろんなコミュニティーに顔を出しました。

海士町各地で行われているスポーツ系の集まりだと、卓球、サッカー、バスケ、バドミントン等をしましたね。
一緒にスポーツをした人とのつながりで、地域の方にご飯に誘っていただいたり、テルさんの弟さんに鰹漁に連れて行っていただいたりもしました。

シェアハウスにあった釣り竿が壊れていたので、
松島の皆さんに改良してもらったそうです!

東京に戻ったら、地域の方と関係性を作り行くのが難しいと思ったので、「今回しか残りの人生でチャンスがない!」くらいに考えて、同期と喋っているよりかは、地域の方と交流することに多く時間を使いました。

ーシェアメイトとの生活はどうでしたか?

最初の1ヶ月間はゴリゴリに喧嘩していました。シェアメイトと価値観が合わなくて。

でも、それぞれの考えの違いっていうのを認識するために、ちゃんと会話をして関係性を築きたいと思って。
伝えるための準備とかは結構して、実際に意見をぶつけてみました。結果仲良くなれたので一安心です。

松島でもシェアハウスでも必要だったのは、「礼儀はいるが遠慮はいらない」っていうキーワードです。これからも大切にしたいと思います。

普段は全く写真を撮らないそうですが、最後に皆で一枚!
初めは意見の合わなかったシェアメイトが、インスタグラムのストーリーで
この写真とともに「寂しい」と言っていたとか、、!

ー最後に、石﨑さんはどんな人に松島に来て欲しいと思いますか?

テルさんに「船乗ったことあるのか?」って聞かれたとき、「いや、ないです、やる気はあります!」って返したら、テルさんがすごくニコニコされていたのを今でも覚えてます。

だから能力というよりは、テルさんは本人のやる気を重要視されているのかなと思っていて。

あと結構柔軟な人がいいと思います!
漁の仕事は、予定がしっかり立っているわけではなく、その時の天候に合わせてやるので、基本的にテルさんの声が掛かれば仕事が始まったり、終わったりするので。

ー今後の島体験生へひとことあればお願いします!

「常識を疑え!」です。
今回松島での配属が可能だったのも、言ってみたからこそ実現できたので、自分で無理と言って諦めるんじゃなくて、勝手に自分で決めつけないことが重要なんじゃないかなって思いました

ーあとがき

諦めずに自分の思いを伝えつづけたからこそ実現した松島での勤務。
石﨑さんの真っ直ぐな言葉を聞いていると、本気でやりたいと思えばできないことは無いんだなという気持ちになります(^^)

私は友人から、「私は絶対島に働こうと決断できない!」と言われるのですが、、、

本気の移住!と構えなくても、ふらっと来れる環境があるのが島留学の魅力なんじゃないかなと思っています。違うと思ったらまた考えればいい!!

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(インタビュー・文/川井田)

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