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~音梨颯 小・中学校編~26歳限界マンガ原作者志望の自己紹介2

おはこんばんちは
限界マンガ原作者志望の音梨颯です。

これを読んでいただけているということは
今までのnoteも読んでいただけたかと思います。
ありがとうございます!

なるべく面白く自己紹介noteを書いていこうと思いますので
引き続きよろしくお願いいたします。

前回はこちら

・小学校編

田舎なので特に小学校受験もなく、普通の小学校に入りました。
特に賢いわけでもなく、特技もない子供だったので
特筆すべきことがないのですが、
爆誕編に続き、また家族がらみで事件がありました。









私が小学校高学年の頃に

親父が「FXで食っていく」と

言い出し仕事辞めました






正気か…?



子供2人いる父親(母親はただの派遣社員)が
普通このタイミングで「FXで稼ぐ」ために仕事辞めるか…?

当時の心境としては、「ふーん そうなんだ」としか思っていなかったけども、一応社会人経験した今となっては狂気の沙汰としか思えません。

最終的な顛末としては、私が中学生後半くらいにあきらめて
就職しなおしてました。
(私も妹も大学にはいけたのでギリギリセーフ)


まあ父親がこんな感じなので

26歳にもなって無職なのに

なんの焦りもない息子でも
しょうがないよねっ


特になんもなかった小学校編終わり

・中学校編

中学2年になってやっとマンガをつくることに関するエピソードが発生します。(正確には私が文章や話を構築することが得意だと気付いた話)

ある日国語のI先生が

「新聞ノート制度を導入します」


と言い出しました。


新聞ノートのつくりかた


新聞ノートとは、↑の画像(絵が下手ですいません)のような感じに

・ノートの見開き左ページに自分が気になった新聞記事
 (新聞とってない家庭はネット記事で可 僕はネット記事派だった)

・右側上段にはその記事の要約、
 下段にはその記事に対する自分の意見を書くというものです。

提出するだけで成績に加点、
要約や感想がうまくまとまっていればさらに加点してくれるとのことだったので、
国語は得意だけど、5段階評価で4と5のはざまにいた私は、
1週間に1,2回 ネットで気になる記事があれば
せっせと新聞ノートを書いて提出するようにしていました。

ちなみに提出すると、書いた意見に対する先生の意見・感想と
ABCの3段階評価が割り振られて戻ってきます。

せっかくの制度導入にも関わらず、
頭の悪いやつしかいない
部活で忙しい子ばかりのクラスだったので
2,3人くらいしか
提出している人間はいませんでしたが、
ある日、その国語の先生から呼び出されると





メッッッ…ッチャクッッッチャ褒められた



おそらく今、ひ〇ゆきがブームになっている理屈と同じだと思うのですが、
事件(問題になっている事柄)に対して正論をぶつけて
自分の意見がいかに正しいか的な意見を展開していたため、
読む分には面白かったらしい。

今思えば幼稚で恥ずかしいですが。

担任や、ほかの教科の先生からも「I先生が音梨君の文章がすごいっていってたよ」と言われたのでよっぽど気に入ってもらっていたらしい。



I先生との新聞ノートのやり取りで

印象的なエピソードが一つあります。


ある時私は新聞ノートのネタに、
「原発稼働の是非を問う記事」を取り上げました。
(当時は東日本大震災で福島第一原発の問題が発生したときでした)

僕はリアリストなので、
「今原発止めたら経済活動がより貧弱になるので原発は動かすべき」という考えで、意見を書きました。

ここからがスゴイのですが、

それに対してI先生は

原発反対派という立場を

明確に記しつつも、
決して僕の意見を否定せず肯定し、

そのうえで、真摯に反対派の意見をまとめた

返信をくれました。


皆さんは「そんなの当たり前だ」と思うかもしれませんが、
世の中には正論を突きつけて相手を言い負かせば
それですべて解決すると勘違いしている残念な人間が存外にいます。

少し話が遠回りするのですが、僕が通っていた中学校は、
やけに平和教育に力を入れる中学校で、ある日
「日本は兵器を持つべきか、持たないべきか」というテーマで
議論をする授業がありました。

99%のクラスメイトは空気を読んで「兵器は放棄すべき」という立場で意見をまとめようとしていたのですが、
僕はリアリスト(本note2回目)なので
「諸外国に対する抑止力として兵器を保持すべき」という意見を絶対に曲げなかったところ、
担任に薄暗い階段裏に連れていかれ、意見を変えるように詰められました。

平和のためなら、子供に脅迫もいとわない平和教育(笑)


そんな残念な中学校だったので、なおさらに
真摯に僕の意見に向き合ってくれたI先生に救われていました。

このI先生の新聞ノートのおかげで、
「僕は他人よりも文章を書くことが得意なんだな」と気づいたのですが、
文章で飯を食うルート(批評家など)が存在することは知りませんでしたし
物語をつくることに関しては全然意識が向かなかったので、
この時点ではマンガ原作者になろうなどとは全く思ってませんでした。


最後におまけ程度のエピソードなのですが、

このころは、毎日

風呂に入りながら爆睡していました


↑森野羊は数えないの獏君 こんな感じの姿勢で寝てました


今生きているのが不思議なくらいなのですが、
毎晩湯舟に入っていると、気がついたら
眠りこけていました。

親に「いいかげん出なさい」と言われて
風呂から上がろうとしてもそこから寝てしまうくらい
抗えない睡魔に襲われていてどうにもなりませんでした。

「森野羊は数えない」は睡眠をテーマにしたマンガですが、
私が睡眠について考えるようになったのは、
おそらくこの時の悩みが出発点のような気がします。

中学校編終わり

自己紹介3はこちら


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