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昨日の朝の出来事

私が応援している団体が
この秋にラオスの小学校と
タイの孤児院を訪問するらしく、
会員の同行が可能とのことなので
参加したいと思っている。
(以前に参加しようとしたが
コロナの影響で
直前に断念することになった。)

と家族に伝えたところ

「なんで今やねん。
そんなん行ってどうするねん。
何しに行くねん、冷やかしか!
日本にも孤児院あるやろ」

との言葉が返ってきた。


たしかに日本にも孤児院はあるし
日本でも大変な思いをしている人は
たくさんいる。
たしかにそうである。

彼の言葉で
「なぜ私は
東南アジアに目が向いているのだろう」
と考えた。

その答えは、

私が実際に目にしたのが
東南アジアで路上生活をする子どもだったことに尽きる気がする。




文字で知っている、耳で聞いたことがあるのと
実際に目で見るのはまったく違う。
自分の目で見た光景が目に焼き付いて
記憶の中で何年も尾を引いているだけの話だ。
それがたまたま東南アジアだったというだけ。

日本の問題に興味がないとか
どうでもいいと思っているわけではない。


私は自分の目で見た彼らのことを
知りたいと思うし
あのとき自分がどうすればよかったのかも
知りたいと思うから
現地に行きたいと思う。


見たことがない人や
そもそも彼らに関心を寄せていない人に
私の思いを冷やかしだと言われても
別に構わない。

直近の段落を除いて
彼に伝えると
「・・・うん」と言うだけで
黙ってしまった。


今回の出来事により

なぜ自分が
東南アジアに目を向けているのか
さらに考えることができた。

また

以前の自分であれば
「冷やかし」という言葉に動揺していたが
今はその言葉も
その人の考え方だと思うし、
自分が関心を寄せるところではないと思える。
その意味で、
自分も少しは成長したと思う。

ただ、実際にあの光景を見ると
「冷やかしてやろう」なんて気持ちには
私はとてもなれない。

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