どうする? いちど死んでみる?
死とは、再び開くと信じて疑わない瞬きを最後に、二度と瞼が開かなくなった瞬間に訪れる。
なんで知っているのかって? だって、この瞼、もう二度と開かないんだもの。意思は? ある。
ネルソン・マンデラが、死んでも墓から投票に行くと言っていたように、死からひょっこりこの世にお邪魔することができるんだ、実は。
気味悪がっちゃいけない。キミもアナタも、この状況に身を置いたらわかるよ。気味悪がるほうがかえって不気味な思考だってことにも合点がいくはずだ。
マンデラじゃないから僕は投票には行かないよ。生前にも行ったことはない。
そもそも選挙って、田票集めた者が勝つようにできているんだもの。結果のわかった出来レース、人気投票みたいなものじゃない。誰が勝つかなんて、投票前からおおよその見当はついている。
人望による人気か、手回し、根回し、手を擦り足を擦った末の賜物かどうかはわからないけれど、投票前から確保した票で戦う選挙ってなによ、と思うがね。正々堂々と正面から立ち向かう正直者は、足元の地中深くで地固めが終わった狡猾者の罠にまんまと乗せられるだけじゃない。アンフェアで、利己的で、人為的な現代選挙のどこに、清さ、潔さがあるっていうのさ。
田票捨てて、裸一貫、事前の保身策のいっさいがっさいをバッサリ切り捨てて、ねじり鉢巻キュキュッと締めて、気合いを入れて、ふんどしはピシッと増し締めして、気持ちもググッと引き締めて挑んでくるならこっちも考えるよ。
それができるようになるまでお預けね。
なんてことを始めとした煩わしいことのフルパッケージを、死んでしまったらごっそりゴミ箱に捨てられる、なんてこと思っちゃいないよね? 思っていたとしたら、そいつは認識違いにもホドがある。甘いよ。甘すぎる。あり得ない。
人は死んでからが本番さ。生きてるうちより思考を深めなきゃならなくなる。ほかにすることがないからね。とことん突き詰めるようになる。地獄に堕ちれば死ねない地獄に死人は心を痛めるようになる。終わらない思考も、死ねない地獄で永遠ループを描くようになる。終わらない思考地獄。
その地獄はどこかって? ここのことを言っているんだよね? 僕が今いる現在地。
ここは天国と呼ばれているところだよ。果てのない思考を繰り返す辛さはあるけれど、肉体の痛みはいっさいなし。身体の痛み痒みに悩まされることはない。このことだけで天国の価値はおおありさ。
ここには「天国に行ったなら能天気にやりたい」って願いがたくさん届く。神社の賽銭箱前から、教会の祭壇前から、広大な荒地の真ん中で空を見上げながら、そういうのがたくさん寄せられる。
でもすべて却下だね。生きているうちの辛さから逃れたいって気持ちはわかるけど、ここに来たら永遠の哲学道が待っている。
残念だったね、生前は勉強嫌いだったなんて。慣れておけばよかったのに。勉強地獄に。そうすればこちらの世も、あんまり苦もなく過ごせただろうに。
間に合うなら、今から学びに励むといいよ。踏ん張った分だけ、こちらに来たら楽になる。
嘘だと思うなら、来てみる? 天国に。どうする? いちど死んでみる?
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