ネコに思う。
窮鼠噛猫(きゅうそごうびょう)、追い詰められたネズミはネコをも襲うと申します。
肉体的優位性こそ正義だったころの、まるで野蛮なルールブック。
躯体は小さくてもおんなじ命。尊さに変わりはないと教えてくれたのが『ジェリー』でした。
ご存知?ネコとネズミの『トムとジェリー』。
主題歌は「ネコにネズミが噛みついた、あべこべだネコ叩き」と、世の常識を鼻で笑います。
立場が入れ替わった違和な関係に、なぜだか愉快にさせられたあのころ。
今は、時に逆転が過ぎてエスカレートすることも。立場は強くなったり、弱くなったり。シーソーのように揺れ動くものなのかもしれません。
昭和も戦後が落ち着いたころはまだ「ネコまんま」が象徴するようにネコのご飯は人間さまの余りものと相場は決まっていました。
人が施し、ネコに授ける構図です。
近隣に飼い猫の楽園があります。小さな公園で日向ぼっこにいそしむネコたちは、自他ともに認める主役。
「触らせてあげないではないけど、昼寝の邪魔はしないでね」
無言の圧力が、伸ばす手にびりびり伝わってきます。
ご飯も専用の(時には高級な!)キャットフード。実家のネコもそうですが、下手なものには見向きもしなくなりました。
人さまとネコの関係はいま、ネコさまと人になっています。
「いいの、癒してもらってるから」
なるほど、確かに人はいま、ネコから施してもらう側に立っている。
微妙なシーソーゲームの真っただ中といったところでしょうか。
愛猫家が愛犬家を上回ったのは数年前のこと。
ここでもシーソーゲームが繰り広げられていますね。
猫優勢のピークは、まだ見えません。きっと、ずっと先に。
破竹の勢いにネコの手要らずの状況がしばらく続きそうです。
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