問題は解決したのか?
『settlement』の意味はてっきり「解決」とばかり思っていたから、最初、文章の言わんとすることがわからなかった。調べると「居住地」という意味をも併せ持つ。
ひらがなで書く『はし』を思い浮かべた。『はし』と『はし』で意味を聞き分けることもできるし、「道のはし」といった具合いに前後に配されたプロットとの関係で「はし」を『端』だと意味を絞り込むこともできる。
「このはし渡るべからず」クラスになると一休さんにやられてしまう解釈の高等レベルの域である。英語でこの類のとんち話に出くわすと、初心者が運転する険しい山道の如く困難を極め、ハンドルを元来た道へ切り返す。
語学は苦手だったし、これから克服しても間に合わないことくらい重々承知しているものの、日本人の目を通して世界の出来事を知るのと、海外に拠点を置く異文化で育った目を通しての出来事把握とでは、網目の荒さの違うフィルターを通すのと似て捉え方に違いがあることから見落としていたものを拾えるようになるーーという我の強さを譲らない自己解釈により、BBCのニュースを辞書を引き引き読んでいる。
Russia hits 118 settlements in one day, says Kyiv.
これが原文のヘッドラインであった。
(キーフは、1日のうちにロシアがウクライナの118居住地を攻撃、と言った)
これのどこが異文化によるものの見方だ? という野暮は言わないでほしい。ものの例えとして引用したのではなく、settlementこそ本原稿が焦点を当てた主役である。
言語は使われる国によって名詞や動詞などの配置が違ってくることはよく知られていて、英語や中国語は「結論」が先にありきであることもまたよく知られている。対する日本語は、いきなり結論では角が立つからなのか、やんわり遠回りをしながら結論を先送りにするような言い回しをする。
この記事を英語で表すことができたなら、結論が先に来ることからきっと短文で終わってしまうに違いない。
だがそれでは個人的欲求に即した文面にはならない。問題は解決しないというわけだ。
そこで日本という居住国で、異国との調べの違いに思いを馳せる。
言語や言葉は、五線譜を流れる曲線の1本道だ。その引かれていく1本の線が表す全体は無限の立体だ。
BBCのニュースが引いた1本の道の上に、ひとつの音符『settlement』が置かれていた。
無限の立体を構成する1要素は、受け取れる者に届かなくてはならない。爆撃で吹き飛ばされてしまっては、それができなくなってしまう。
人は気に病むものなく住み続けることができる安寧の場所も、紛争が勃発してしまってもそれを解決し安泰をゲットすることも欠いてはならない。
ここに来てやっとBBCの記者がなぜヘッドラインにあえて『settlement』をもってきたのかがわかったような気がした。日本人たる私は今日もまた角を立てずに遠まわり。
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