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ストレイ・パンク・ドッグ/BrewDog PUNK IPA | ニンカシの横顔

「お前さぁ、本当営業やる気あんの?あんなんじゃ受注なんて絶対とれっこないぜ?」
勢いよくドアを開ける音と大きな声。革靴の硬い足音。
グラスを拭いている手を止め顔を上げると、二人のスーツ姿の男たちが入店してきたところだった。

「はい、すいません」
ふたりとも同じくらいの身長だが、1人は筋肉質で1人は猫背の細身。
香月の「いらっしゃいませ」という言葉は、上司らしき人の声にかき消された。
「だからそういうとこだって言ってんだよ。謝るんじゃなくて、もっとやる気見せろっていってんだよ。結局数字なんて、やる気にしかついてこねぇんだよ。お前さぁ、本当にわかってる?」
「すいません」
「ったく、本当にわかってんのか?お前の代わりなんていくらでもいるんだからな。自分の給料分くらい自分で稼げ」
細身の男は怒られるままに、身をすくめて小さくなっていた。
「俺はこのまま直帰するけど、お前は週明けの接待用にビール持って帰れよ。あそこの会社のおっさん、そういう気遣いに弱いんだからな」
猫背の男性を横目に「じゃ、あと任せたわ」といって筋肉質上司は店を出ていった。

「ちょっと~いまのってパワハラじゃない?ってか店の中でわざわざ怒鳴りつけることなくない?なんなのあれ」
角打ちで飲んでいた常連の原さんがわたしに耳打ちしてくる。
「人前で怒鳴ることで自分の権力を見せつけたいんだろ。弱い犬ほどよく吠える」
原さんと一緒に飲んでいたオーナーがぼそりと呟いた。
「ちょっとオーナー!言葉をもうちょっと選んでください」

慌てて細身の男性の方を振り返ると、彼はじっとうつむき、顔を陰らしていた。よく見ると両手を強く握りしめている。
(悔しいよね、そりゃあ)
わたしはそっと近づくと、彼に話しかけた。
「ビールをお探しですか?」
男性は、はっと顔をあげ、少し気まずそうに頷いた。青白い顔。目の下にはクッキリとしたクマが出来ている。

「当店は初めてですよね。ここニンカシでは物語と一緒に仕入れたビールを多数ご用意しております。お客様にあった一本をご提案することも可能ですので、お声がけくださいね」
「物語、ですか?」
男性が少し怪訝そうに聞き返す。
「はい。造り手の想いだったり情熱だったり、クラフトビールは一本一本が様々な物語を持っているんですよ。わたしの仕事は、その物語をそれを必要としている人にお届けすることで―」
「おい、若いの。おごってやるから一杯飲んでけ」
わたしが話をしている横からオーナーが遮ってきた。
「そうよそうよ。イヤミ上司も帰っちゃったんだし、今日はもうお仕事終わりでいいじゃない」
原さんも顔を突っ込んできて、戸惑っている男性の背中をぐいぐいと押し、そのままテーブルにつかせる。
「ね、飲んじゃいましょう」
オネエ言葉を好む角刈り紳士の原さんは、物腰は柔らかいものの、その圧は意外にも強い。
「いや、えっと、でも……」
「ビールは嫌いか?」
たじろぐ男性の目を見据えて、オーナーが言う。
「好きですけど、クラフトビールは飲んだことないです」
「よしわかった。香月、おすすめのビールを選んでやってくれ。いいな?若者」
オーナーがこうなったらもう頑として引かない。
わたしは小さくため息をつくと、はいはいとテーブルへと向かった。

その人がどんな人で、どんなことを考えていて、どんな気分になりたいのか

ビールたちの持つ物語や味と、お客さんを重ねて最適な一本を選び出す。
そのためには、当たり前だがその人のことを知ることから始まる。
「うちのオーナーが強引ですみません。ビールをお選びする上で、少しだけあなたのことを教えていただけますか?」
男性は「いえいえ」と薄くほほ笑むと、胸元から名刺を取り出した。
「岩沢ヒデキと言います。年は26歳です」
(そういうことじゃないんだけどなぁ)

苦笑しながら受け取る際に、岩沢と名乗った男の指先の皮がとても厚いのが目に入った。
「ひょっとして何か弦楽器やってました?」
わたしが聞くと、岩沢は少しぎょっとした顔をして言った。
「はい。ギターをやっていました。でもなぜわかったんですか?」
「あぁやっぱり。うちにも音楽関係のお客様がいらっしゃって、同じ指をしていたのでそうかなと思って」
「そっか。俺の指、プロの人とまだ同じなんだな」
もの悲しげに自分の指を見る岩沢を見てピンとくる。
あぁ、これは夢をあきらめた人の目だ。でも心の整理がつかずに、未だもがいている人の目。
「もしかしてプロを目指していらっしゃったんですか?」
岩沢は一瞬真顔になると、くしゃりと笑顔を作って見せた。
「そうですね。でもいつまでも夢ばっかりみてちゃダメだって気づいたんで、スパッと辞めて今はちゃんと社会人やってます。まぁ仕事でもご覧の通りダメダメで、怒られてばっかりですけど」
本人は笑っているつもりなのだろうが、悲しさと切なさが入り混じっている様に見える。(営業、青白い顔、ギター、夢、挫折)
わたしは話を聞きながら、出てきたキーワードを頭の中で整理しつつビールを思い浮かべていく。

「それにしても嫌味な上司ねあいつ。あなたも大変ねぇ」
原さんがため息をつく。
「そうですね、でも自分音楽ばっかりやっていたんで社会常識とか全然わからなくて。早く一人前にならなきゃとは思ってるんですけど」
「偉いわねぇ。わたしも昔職場に嫌な上司がいてね、ネチネチわたしばっかりに絡んでくるから一か月でその職場辞めてやったわ」
「え、辞めたんですか?」
岩沢がびっくりした表情を浮かべる。
「そりゃ辞めるわよ。人生短いんだから貴重な時間無駄になんかしたくないもの。最後は派手に喧嘩してね」
「まじですか」
原さんの言葉に岩沢の目が少しだけ光を取り戻す。その表情と一本のビールが重なった。

わたしは冷蔵庫の前で姿勢を正すと、青いファッショナブルな缶を取り出した。
ラベルを軽くなでつつ目を閉じる。
ビールの女神よ、彼に元気をお与えください。

「お待たせしました」
テーブルに置いたグラスに、たっぷりとビールを注ぐ。
透明感のある美しい黄金色。それにふたをするようにきめ細やかな泡が盛り上がってくる。
トロピカルフルーツのような甘い香りとグレープフルーツの爽やかな酸味がふわっとあたりに漂った。
「どうぞ。まずは何も考えずに楽しんでください」
グラスを差し出すと、岩沢は「じゃあ、いただきます」とオーナーに頭を下げ、恐る恐る口をつけた。
はじめは泡の部分を少し。華やかな香りを鼻と舌で味わい‥…その一瞬後には驚いたように目を見開いた。続けてゴクリゴクリとビールを飲み下す。

オーナーも、原さんもにこにこしながらその横顔を見ていた。
「このビール、すごいパンチがありますね!グレープフルーツの皮を齧っている様な。すっごい苦いのに、でもなんだろう癖になります」
そう言いながら岩沢は再びグラスに口をつけると、あっという間に3分の2ほどを飲み切ってしまった。頬が少しだけ上気している。
「気に入っていただけてよかったです。これはイギリスのブリュードックというブルワリーが作っているパンクIPAというビールです」
「パンク……ですか」
岩沢は少しだけ複雑そうな顔を見せた。
「パンク、お嫌いなんですか?」
「いや、好きです。実はプロを目指していたバンドがパンクバンドで。ちょっとだけ苦い思い出というかなんというか」
「そうだったんですね。このビールを作ったのもビールの名前通り、パンクなブルワリーなんですよ」
「え、なんですかそのパンクなブルワリーって」
岩沢は疑問ありげな表情をする。
「彼らの作るビールって、すごく革新的で独創的なんです。例えばバイアグラ入りのビールを作ったり、大西洋の海底で醸造したり」
「そうそう、プロモーションもド派手なのよねぇ」
原さんが言葉を引き継ぐ。
「大手企業のビールを破壊する動画を作ってみたり、戦車でロンドンを走り抜けたりね。国会議事堂の壁に創業者の裸の影を写したこともあったのよ。かっこいいわよねぇ。わたし大好き」
「それは……ずいぶんパンクというか...どうしてそんなことを?」

唖然としている岩沢に、わたしはにっこりとほほ笑みかける。
「当時の英国では、低コストで大量生産された質の悪い大手ビールが市場を占めていました。創業者はその流れを変えるべく、「自分たちが心から飲みたいと思うビール」を作るためブルワリーを立ち上げたんですよ。最初はその過激すぎるプロモーションや独自すぎる製法で批判されていたのですが、わずか9年でイギリスのビール業界に革命を起こしました。いまやイギリスのシェアNO.1ブルワリーです」
「え、一体どうやって……」
「答えは簡単。それは彼らの作るビールがとっても美味しかったからです」

わたしはパンクIPAの缶を手に取り、少しだけ残っていたビールを岩沢のグラスに注いだ。
「『世界を変えよう、まずは一杯のビールから』これは彼らの合言葉だ」
黙って話を聞いていたオーナーが口を開く。
「ブリュードックはビールの原料のひとつであるホップの持つ力を信じて、採算度外視でとにかく美味しいクラフトビールを生み出すことだけに情熱を注ぎ続けた。彼らの生み出したビールに人々は熱狂し、それはイギリスのビール市場に大きな変化をもたらすのに十分だった。
彼らの「ビールが好きだ」という純粋な熱い想いが、本当に世界を変えちまったわけだ」

「想い、ですか……」
岩沢はそのまま黙って手元のグラスに視線を落とした。
「そうね、仕事をする上でやっぱり好きって気持ちは大切な燃料になるわよね。あなた一度はプロを目指した身なら音楽業界で働いてみたらいいのに」
「はぁ、まぁ……」
煮え切らない返事をしながら、岩沢は残りのビールをぐいっと飲み干した。一瞬の間の後、驚いたように顔を上げる。
「味が全然ちがう!すごいフルーティーというか、あまくなっている」
「はい、クラフトビールは時間経過によって味が変わります。最初は苦みを強く感じたかもしれませんが、温度があがるにつれ、その苦みの奥に甘みが生まれてくるから不思議ですよね」
「そうよ~これもクラフトビールの醍醐味のひとつ!」
しばらく岩沢は余韻を楽しむようにブリュードックの空き缶を見つめていたが、思い切ったように言った。
「あの、すみません。さっきはあんまり考えないで飲んじゃったんで、もう一本同じもの飲んでもいいですか?今度は今聞いた「物語」ごと飲みたいっていうか……」
「いいわね!今度はおじちゃんがおごっちゃうわ。香月ちゃん、わたしとオーナーの分も合わせて3本持ってきてちょうだい」
わいわいとテーブルを囲む岩沢の表情は、来た時よりもずっと穏やかになっていた。


***

「不思議な一日だったな」
パソコンで音楽をかけながら、俺は家用に購入してきたパンクIPAを開ける。
香りはフルーティなのに、飲み下すとやっぱり苦かった。
苦みは喉の奥の方でずっとその存在感を示している。

『やっぱり好きって気持ちは大切な燃料になるわよね』
店で聞いた言葉が頭の中にフラッシュバックする。

その苦みは嫌ではなく、むしろとても気持ちのいいものだった。
音楽のボリュームを少しだけ上げる。
大好きだったハイスタ。ギターをはじめた当初、何度も何度もそのコードを練習したっけ。
「音楽の世界以外でもパンクな生き方してるやつらっているんだな」
俺はグイっと缶を煽ると、Googleにキーワードを打ち込んだ。
「音楽業界 転職」
「ちゃんとした大人」にならなければ、その数年自分がずっとそう思い続けていた。だから夢からは遠く離れなければと、全く違う業種に就職をした。
でも俺が思い描いていた「ちゃんとした大人」とは一体なんだったのだろう。

俺が自分を燃やし続けられるものは、やっぱり……

時折後悔と共にこみあげてくる、「夢を諦めた」という苦い想いも、時間が経つに連れ飲み下せるようになればいい。
俺は小さな願いを込め、再びビールを飲み込んだ。

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