自分の文章がきらいだ。

 というより、自分のことを語っているときの自分の文章がきらいだ。
 読み返すとなんでこんなふうに卑屈に思っているのだろうと、自分で自分のことが信じられなくなる。こんなに一緒にいてくれる人がたくさんいるのに、不安になるなんて、失礼なやつだな、って。わたしがもう一人いて、いままでの「乙女PRESS」の記事を読んでいたとしたら、少なくともコイツは友達にはしたくないタイプだなって思うだろう。

 それでもこうやって少しずつ、わたしの素直な気持ち、隠すことない気持ちをさらけ出そうとしている。わたしはいつからか、自分に自信がなくなってしまって、自己肯定感がこんなにも低くなってしまった。理由なんてわからない。「いまの自分」は、すごくネガティブになりがちだし、自費出版でちゃんといいものが作れるのかめちゃくちゃ不安だ。流通もどうなるかわからないし、売れるのかもわからないし。大赤字になっちゃったらどうしようって思う。若い女の子に対する気持ちもいまだに鬱々としてるし。

 鎧をまとって、ニコニコしながら頑張るぞ、楽しい、しあわせだ、と叫びつづける。それがエンターテイメントであるし、なにかを発表する人が負う一種の責任であると思っていた。いまも思っているけど。すごく大事なことだと思っている。
 ワー!楽しい!楽しんでたら100回目まで連載できました!ワクワクしながら作っていたら、最高な写真集ができました!そんなふうに見せるのが正解だって思ってる。
 でもそうやって嘘をついて笑っていたら、本当のところでわかってもらえなくなる。本当のわたしは、もっと不安定で、すごく繊細だ。

 「自分が幸せでなければ、他人を幸せにすることはできない」
 「自分が自信を持てない作品を人に見せても、喜んでもらえない」

 そんなことみんな言うけどさ。
 わたし、自分のメンタルが死んでるときに撮った写真見せても、喜んでもらえてる自覚はあるよ。メンタル死んでるときに撮影してても、現場を盛り上げてる自覚はあるよ。プロだから。

 なんだかいまは、そういう当たり前を装って取り繕られた言葉じゃなくて、もうすこし本音のところで語りたい。

 すごく勇気を出してる。だってこういうの嫌われる可能性あるじゃん。あんなに幸せそうに笑ってたのに、なんなんだよって思われる可能性、めちゃくちゃあるじゃん。だけど「乙女グラフィー」を出版するまでは、やってみようと思ってる。くらいときもあかるいときも、わたしの心を正直に語っていれば、きっとまた一歩先に行ける気がするから。理解してくれる人といっしょに、一歩先に行きたい。

 こんなんだけど、いつかは、本当に心の底からガハハと笑って、心の底から自信を持ってすべての瞬間が楽しい!って言える日が来るような予感がしてるんだ。大きな大きな予感なの。自分を語る自分のことを大好きになれる気がしてる。だから、それまでの心の機微を、こうして晒すことはきっと意味があることだと思っているよ。

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