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ソラカラノオッチャン

知り合いの娘さんのダンスの発表会を観に行く

畑に囲まれた大学の野外ステージに登場した娘さんの息は白く
そういう季節なんだと思い知らされる

こんな小さな体のどこに隠し持っていたのか激しく怒った目をして踊っている

こんな目を
僕はむかし見た覚えがある

「ソラカラノオッチャン」

近くに住む親戚のおじさんはお酒を飲むと僕達の家の前で
「おい!空から、空から、市役所が降ってきたぞ!気ぃつけや!気ぃつけや!」と
大声で教えてくれる
毎晩降ってくるものは違って
馬78頭の時もあれば
高野豆腐の時もあるが
大声で叫ぶソラカラノオッチャンの目は変わらず怒りに満ちていた

いつからああなったのかと
親戚中が集まった時に聞いたが
僕にはまだわからない
つらいことがあったんだと
みんなはただ黙って
空を見上げた

オカンらはもう知らん顔で、相手にはしていなかったが
まだ小学生の僕は
カーテンの隙間からこっそり見ては
胸をざわつかせていた
騒ぎ疲れて帰る後ろ姿はいつも
雨にうたれた野良犬のようだった

お酒を飲まない時のオッチャンは別人のようで、道端で会う度に
「大地!勉強やってるか!」
「うん」
「なんの勉強や?」
「…漢字とか」
「漢字か、あれは難儀やでぇ。頑張れよぉ」
漢字が算数でも社会でもオッチャンは難儀な顔をする
「約束やぞ」とオッチャンは、僕の顔の前に手のひらを向けてくる
僕はグーでオッチャンの手をちょんとたたく、なんか恥ずかしいいつものやりとり

オッチャン越しに空を見上げる


ある冬の夜


ソラカラノオッチャンは闘牛のような顔つきで叫び出した

「おい、起きろ!
空から、空から、
雨が降ってきたぞ!
おい雨や!雨やぞー!
濡れてまうぞ、ビショビショや!
気ぃつけや!気ぃつけろ!」

いつもよりもしつこく
玄関や窓を叩いている

隣の布団で
普段は無視して眠っているオカンが急に体を起こし
窓を開け放って
「カササシ!」と言った
もう一度大きな声で
「カササシ!」
オカンの横顔に車のライトが
あたったり消えたりする

ぼくはわからず、えっ?と聞き返したが
ソラカラノオッチャンはこちらを見て
ずり下がったズボンと鼻水をたくしあげ
「そやな」
と言って帰っていった

母は布団にくるまり
「雨もふるよ」と寝返りをうった





カーテンコールに登場した娘さんと目があったので僕は大きく手をふった
照れくさそうに笑った目に、もう怒りはない
僕は呪文のように小さな声で言ってみる
「カササシ!」

「カササシ…」

ステージ上の娘さんはメンバーと、ハイタッチしながら袖に消えた

大丈夫