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人生を拾って集めてみる 〜(学生時代のはなし)
今更ながらあらためまして😊
しばたみきと申します。
フリーランスのウェディングプランナーをしています。
ウェディング業界は8年目で、
昨年末、九州から愛媛に引っ越してきて会社員を辞め、
3月からフリープランナー として個人として結婚式のお仕事を始めました。
フリーランス=個人をうる。
しかも今住んでいるところは知り合いもいない 縁もゆかりもない場所。
をまずは 私の存在を知ってもらわないとも出会いたい人に会えない。
・・と思いながらHPなどもまだ準備中で無く、SNSもほぼ運用できていません。(苦手)
でもなんだかこのnoteが、今は一番私という人間を知ってもらえる(むしろさらけ出しすぎている)場所な気がするので、
改めて少しずつ自分のことを話してみようと思いました。
とはいえ私にはかっこよく並べることができる輝かしい経歴もありません。
ただただ、結婚式とお客様が大好きだという真っ直ぐな気持ちで ウェディングプランナーの仕事を全力で全うしてきました。
器用ではなく、かなり泥臭く生きてると思います。笑
でもこれからは フリープランナー として、今まで以上にお客様としっかり向き合えること。
ふたりの人生から もっとふたりのことをたくさん知り、大事な価値観を見つけてそこから未来につながる結婚式
を作っていきたいと思っているので、
ここではたまに 自分の過去を振り返ってみて、
その時感じたことなどから私がどんな人間なんだろうと自分でも気付きながら
note らしく文章で書いてみようと思います😳✍️
書いていたら長くなっちゃいそうなので
今回は学生時代までの話で区切ろうと思います。
(長いので、もし最後まで読んでくださった方は私に興味を持ってくださったとても尊い存在となります。コメントください😭笑)
平成元年に福岡で生まれ育ちました。
両親と弟の4人家族。そしてばあちゃん子です。
このセクシーショットは載せていいものか迷いましたが ばあちゃんのお気に入りなので載せますね。笑
小学生の頃は友人と替え歌を作ったり、漫画を書いたり、好きな食べ物はスルメなどの珍味
愉快な小学生ライフを送っていて、身体を動かすことが好きで、足だけは速かったです。🏃♀️
小学校の頃に、母親の影響でバスケを始め、中学時代はキャプテンをしてました。 とは言え弱小校だったので、私自身はチビで技術があったわけではなく、
高校時代もバスケ部に入りましたが、ずっとベンチでした。☺️
(ただ、応援の声だけは全力で大きかった。)
高校は女子校で、なんとなく女子校の雰囲気に馴染みたくなくって
自ら尖っていた時代だと思います。笑
勉強もあんまり好きじゃ無い。部活も試合に出れない。
そして家庭も両親の仲が悪くて、家もそんなに好きじゃなく、
あんまり笑わなくて、この頃から自分の話をほとんど家族や他人にしなくなりました。
(大きなバリアを貼りながらでも信頼できる友達は数少ないけどできました☺️)
そんな時、誰も周りが聴いていないようなインディーズのPUNKROCKに出会い、
そこから私は音楽の世界にはまっていきました。
無料掲示板で知らないバンドを聴きまくり、CDを買う。
この頃からCD収集癖が発症し、未だにたくさん部屋にあります。笑
最初はバンプから始まり、ELLEGARDEN、locofrank、銀杏BOYZ、10-FEET、kenyokoyama、dustbox、藍坊主 などなど 今や有名なバンドもあるけど当時は誰も知らない。私だけが知っている。ふふん。
という感じで、ちょっとかっこつけて、ヘッドホンを耳に当てて自分だけの世界に入っていました。🎧
この頃ヘッドホンの中から流れる音楽は、
人に見せない私のありのままの感情を 唯一代弁してくれて 理解して相談に乗ってくれたり背中を押してくれるような存在でした。
そんなこんなで高3の進路を決める時。特に夢もない。勉強もしたくない。
そんな感じだった私は、 就職する。 と言ったけど
反対されて。 それならば何か好きなこと・・音楽?
音楽に関わる仕事がしたい!!!
と思い見つけてきた、エンターテイメントの専門学校へ進学することになったのでした。
きっと親は大学へ行くことを望んでいたと思いますが、音楽に強さをもらったゴーイングマイウェイのわがまま娘は言うことを聞かずにやりたいようにさせてもらいました。(ごめんなさい)
専門学校ではステージライティング (舞台照明)を専攻しました。
この頃からライブハウスに行っていたので、当時ライブといえばPA(音響)さんの印象。だから本当はPAが良かったのですが、
志望する人がめちゃめちゃ多かったこと。オープンキャンパスの時に照明の先輩がすごく面白かった&イケメンだったことから照明を選びました。笑
そんなこんなでスタートした学生生活。
これは私にとって大きな転機だったと思います。
たった2年間。でも、今も一番記憶に残るくらい濃い時間でした。
専門学校は、エンタメ業界で働きたい人が集まる学校だったので
私たちのような裏方(照明、音響、企画、舞台制作、映像など)から、
表に出る人たち(ダンサー、ボーカル、楽器、声優など)
エンターテイメントに関わる学科が全てありました。
学校生活では、各専門分野で学びながら、色んなイベントをみんな作っていきます。
ライブから声優イベント、ミュージカル、映像のPV制作など、
参加は任意の物も多かったけど、全部進んで参加して、
色んなステージをみんなで創りました。
他のコースの企画に、照明として協力したり、してもらったり、
毎日が常にイベントのような感じでした。
中でも、年に1回だけある、学校全体で作るミュージカルは、
普段コンサートなどが行われている大きな会場で
キャストも裏方も学生みんなでやり、お客様にお金をもらってチケットを買っていただいて作り上げる一大イベントでした。
みんなで毎日台本を読み、場面ごとのキューを考えたり、
キャストの稽古見学に行ったり。
私たちは表に出ることはないけど、全ての歌やセリフを覚えてしまうほど
全力熱中して燃えてました。
うまくいかずにぶつかったり、時には泣いたり。講師や先輩に怒られたり。
色んなことがあったけど、それでもみんなで何か一つのものを目指して創ることが、本当にわくわくして、楽しくて。
無事に迎えた当日は、もちろん大号泣です。
カーテンコールでキャストやスタッフが流した涙。ハイタッチ。大きな拍手。
今でも忘れられないです、あの時の感動。
おそらくこの時期が、私が生まれて初めて何かに真剣になり
本気で頑張って熱中できたことでした。
(打ち上げで飲むビールのおいしさも初めて知ったのでした。)
過去の写真を見ながら、この先輩たちへのメッセージカードも私が作ったな。
とか、送別会とかも企画してたなとか思い出しました。
この頃から、誰かの為に何か考えたり企画をすることが好きだったみたいです。
休みの日も学校に行って、朝から夜までほぼ毎日みんなで一緒に過ごし
一つのイベントにみんなで一生懸命真剣になった日々。
たった2年間だったけど、みんなで過ごした時間は本当に濃いくて、
朝まで部屋でイベントのダンスを踊りまくって覚えたり、
くだらないことで腹筋痛くなるほど笑って過ごして
専門学生時代の友人とは学科を超えて、卒業して12年経った今でも繋がっています。
この場所で、みんなと出会えたことは最大の財産だと思っています。😊
こうして濃い2年間を過ごして、泣く泣く卒業したのでした。
ここまでが学生時代の話でした。
振り返ってみて、この時自分は一体何が楽しくて、心が震えてたんだろうと考えると、
誰かと一緒に感動を共有すること、一体感。
みんな(チーム)で何か一つのものに向けて必死になって熱中できたこと。
緊張感もありながら、ちょっと無茶してもそれを乗り越えた時の達成感。
そんな体験に感動し、感情を揺さぶられていたんだなあと思います。
ウェディングの仕事が好きになった理由が、
この時の経験から既につながっています☺️
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フリープランナーになったことでできた密かな夢。
この頃の同級生と仕事がしてみたいということ。
つまり結婚式をつくってみたいということ。
みんなでいろんな舞台を作ったあのときの経験は、
私が生まれて初めて一生懸命頑張れたこと。
今もずっとずっと大切で、忘れられないとにかく楽しかった時間だった。
いつかみんなで仕事ができたらいいなと当時思っていた。
私は早々に現場を離脱してしまったけど、今はウェディング業界で、
自分にできることを見つけた。
自分自身で考えて動けるようになった今、あの頃密かに抱いていた妄想を
叶えられるかもしれないと思ったりしている。
エンターテイメント×結婚式
まだ先になりそうだけど、もし一緒にやれる機会があれば
こんな結婚式を創ってみたいなあ。なんて思っていたりする😊
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