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魔法少女の系譜、その25~『魔法使いチャッピー』と口承文芸~


 今回も、前回からの続きで、『魔法使いチャッピー』を取り上げます。

 この作品は、話の構造が、伝統的な口承文芸にそっくりです。
 「魔法の国(異界)から、魔法使いの少女(異類)がやってきて、人々に福をもたらして、帰ってゆく」という構造ですね。異類来訪譚そのものです。

 それまでの魔法少女ものと比べると、家族が一緒に異界から来た点が、新しいと言えるかも知れません。
 とはいえ、その点も、口承文芸から見ると、新しいとは言えません。複数の異類―何らかのつながりがある同族同士―がやってくる異類来訪譚も、たくさんあります。

 例えば、ギリシャ神話の例を挙げてみましょう。
 ギリシャ神話には、「バウキスとピレモン」と呼ばれる話があります。老女バウキスと、その夫ピレモンとの話です。
 二人は、貧しいけれども、心優しく信心深い夫婦でした。その二人のもとに、ある日、大神ゼウスと、その息子であるヘルメスとが、人間に変身して訪れます。
 ゼウスとヘルメスとは、多くの人々に宿を求めたのですが、すべて断られていました。バウキスとピレモンだけは、二人を喜んで迎え入れ、心づくしのもてなしをしたのです。

 ゼウスとヘルメスとは、この夫婦のもてなしを、喜んで受けました。そのあと、自分たちが神であると明かしました。そして、村の冷たい人間たちを、滅ぼしてしまいます。
 もてなしの返礼として、ゼウスとヘルメスとは、夫婦のあばら家を、立派な神殿に変えました。さらに、夫婦に、「何か願いごとはないか? 叶えてあげよう」と言いました。

 バウキスとピレモンとは、無欲な人たちでした。このために、二人の願いは、「この神殿の守り人になること」と、「夫婦が同時に死ぬこと」の二つだけでした。
 二つの願いは、叶えられました。夫婦は、神殿の守り人として、それまでと同じように仲良く暮らしました。二人が同時に死んだ時、二人の姿は、二本の樹木に変わりました。

 バウキスとピレモンの話は、来訪する異類が複数になっただけで、日本の蘇民将来の話と、そっくりですね。
 このように、異類来訪譚は、世界中に、似た話が分布します。

 『チャッピー』の場合は、異類(チャッピーと、その家族)が、異界へ帰らなければならなくなる理由も、とても口承文芸的です。

 前回に書いたとおり、チャッピーの故郷、魔法の国には、「魔法を使うところを、人間に見られてはならない」という掟があります。
 この掟を、チャッピーが破ってしまうのですね。魔法の国では、それは、死に値するほどの罪です。
 しかし、魔法の国の王は、チャッピーに対して、寛大な措置をします。人間界で、チャッピーとその家族が知り合った人々から、チャッピーたちの記憶を、すべて、奪うだけで済ませます。そうして、チャッピーたちは、泣く泣く魔法の国へ帰ることになります。

 これは、口承文芸の世界で、「見るなの掟」と呼ばれるものと、一致します。「○○を見てはいけない」という掟のことですね。
 口承文芸の世界では、この掟は、必ず、破られます。「見るなと言われると、見たくなる」人間の心理を、ついています。
 掟を破れば、むろん、罰があります。多くの場合、その罰は、「好き合っていた異類と人間とが別れる」というものです。

 日本の有名な昔話「鶴の恩返し」に、典型的な「見るなの掟」がありますね。
 ある時、一人の人間の男が、一羽のツルを助けます。そのツルが、人間の女に変身して、恩人のもとにやってきます。
 ツルは、美しい織物を作って、夫となった男性に恩返しをします。その時、ツルは、「私が機【はた】を織る姿を、決して見てはいけません」と、夫に、「見るなの掟」を課します。
 お約束として、この掟は破られます。夫が見たのは、ツルの姿になって機を織る妻でした。
 正体を見られたツルは、泣きながら夫のもとを去ります。

 こうして見てくると、『チャッピー』は、典型的な口承文芸そのものですね。
 『チャッピー』より前の作品、『魔法のマコちゃん』や『好き!すき!!魔女先生』や『ふしぎなメルモ』が、口承文芸の範囲から踏み出していたのとは、対照的です。
 魔法少女ものが、一直線に進歩してきたのではないことが、わかりますね。時おり、このように、先祖返り的な作品が現われます。

 それが悪いと言うのではありません。むしろ、時々、このように「原点に帰る」作品があったほうが、視聴者の側も、飽きなくていいでしょう。
 『魔女はホットなお年頃』のように、新しい概念を入れる場合には、古い枠組みを利用したほうが、視聴者にわかりやすい、という利点もあります。

 『チャッピー』の場合は、「昭和的魔法少女」の典型を確立した功績が大きいです。
 中でも、特筆すべきは、チャッピーのペットのドンちゃんですね。ドンちゃんこそが、のちの魔法少女ものにおける「マスコット」の型を確立します。

 ただし、『チャッピー』の段階では、まだ、魔法少女という言葉も、魔女っ子という言葉も、生まれていません。マスコットという言葉も、まだ、使われていません。
 当時は、『チャッピー』のような作品は、「魔法もの」とか、「魔法使いもの」などと呼ばれていたと思います。ドンちゃんも、マスコットではなく、あくまで「ペット」と呼ばれています。

 『チャッピー』におけるドンちゃんの存在は、大きいです。エンディングテーマが、「ドンちゃんのうた」になっているほどです。
 でも、ドンちゃんの存在は、突っ込みどころでもあります(笑)

 『チャッピー』の世界では、魔法の存在は人間には秘密なのに、ドンちゃんは、人間の前でも、平気でしゃべるのですよね。
 「人間の言葉をしゃべるレッサーパンダ」って……その時点で、普通の人間は驚きますし、「チャッピーの家って、何かおかしい」と疑うでしょう。

 まあ、この辺りは、昔のアニメだからということで(笑)
 昭和四十年代(一九七〇年代前半)のアニメでは、こんなものです。

 『魔法使いチャッピー』については、今回で、終わりにします。

 『チャッピー』が終わった後、次の作品までには、間が空きます。半年以上、魔法少女もののアニメがない状態が続きます。

 魔法少女ものは、平成二十六年(二〇一四年)現在まで、連綿と続いていますが、その間には、けっこう、空白期間もあります。
 『チャッピー』の後の空白期間も、その一つです。
 『チャッピー』が、昭和四十七年(一九七二年)十二月に終わった後、翌年の昭和四十八年(一九七三年)十月になるまで、新しい魔法少女アニメは、放映されませんでした(首都圏キー局の場合)。

 魔法少女ものは、アニメの中の一大ジャンルとされています。けれども、作品数を見ると、じつは、そんなに多くありません。
 一時期に、複数の魔法少女ものが放送されていることが少ないのが、その証拠です。

 それでも、根強い人気があるのは、確かです。何回も空白期間があるのに、復活してきますから。
 細く長く、続いている流れですね。

 昭和四十八年(一九七三年)十月からは、空白期間を埋めるように、二つの魔法少女アニメが登場します。
 これらについては、次回以降に(^^)



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