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魔法少女の系譜、その10~『魔法のマコちゃん』と口承文芸~


 前回(その9)と同じく、今回も、『魔法のマコちゃん』を取り上げます。今回は、『魔法のマコちゃん』と、口承文芸の作品とを、比べてみます。

 『魔法のマコちゃん』は、ヒロイン(=魔法少女)が、人魚ですね。そこで、人魚の登場する口承文芸と、比べてみましょう。

 その前に、『魔法のマコちゃん』と、アンデルセンの『人魚姫』とについて、書いておきます。
 『魔法のマコちゃん』は、アンデルセンの童話『人魚姫』を下敷きにしています。これは、別に隠されていません。公に認められています。

 アンデルセンの『人魚姫』は、あくまで、創作童話です。口承文芸とは、違います。

 一応、アンデルセンの『人魚姫』のあらすじを書いておきましょう。

 主人公の人魚姫は、海に棲む人魚でした。彼女は、陸に住む人間の王子さまに恋をして、海の魔女に頼み、人間にしてもらいました。
 その代わり、人魚姫は、声を失います。このために、王子さまに自分の気持ちを伝えることができずにいました。王子さまが他の女性と結婚してしまうと、人魚姫は、海の泡になって消えてしまいます。海の魔女に、そう警告されていました。
 しかし、王子さまは、人魚姫に心をとめることはなく、他の女性と結婚しようとしていました。その時、人魚姫の姉妹の人魚たちが現われます。彼女たちは、海の魔女からもらったナイフを人魚姫に差し出して、「このナイフで王子を刺して、その血を浴びれば、元の人魚に戻れ、海の泡として消えずに済む」と伝えます。
 けれども、人魚姫には、恋する王子さまを刺すことは、どうしてもできませんでした。彼女は、海の泡になって消えることを選びます。

 『人魚姫』と『魔法のマコちゃん』との共通点は、物語冒頭の、「海に棲む人魚の女性が、人間の男性に恋をして、そのために、人間になることを選ぶ」点ですね。
 話の展開の中で、『魔法のマコちゃん』が『人魚姫』に借りているのは、ほぼ、この点だけと言っていいでしょう。

 『人魚姫』は、伝統的な口承文芸とは、ずいぶん違います。

 伝統的な口承文芸の中にも、「人魚が人間になって、人間に混じって暮らす」話があります。
 その多くは、人魚自身が望んで、人間になるのではありません。人間の男性のほうが、先に人魚に惚れます。そうして、嫌がる人魚を、無理やり妻にしてしまいます。
 いざ、人間の妻になると、人魚は、とても良い妻になります。見た目が美しいだけでなく、家事も得意で、気立ても良く、かわいい子供たちにも恵まれます。男性にとっては、まさに理想の妻ですね。

 ここまでは、男性の欲望をそのまま描いた話のように見えます。とはいえ、このまま、男性に都合良いばかりの話では終わりません。口承文芸の世界には、絶対的な「お約束」があるからです。
 それは、「異類婚姻譚は、必ず、悲劇に終わる」というお約束です。ほとんどの異類婚姻譚は、夫婦が引き裂かれて終わります。

 人魚と人間との異類婚姻譚も、例外ではありません。人魚の妻は、最後には人魚に戻って、海へ帰ってしまいます。子供たちと夫は、陸に取り残されます。

 ちなみに、「人魚が、どうやって人間になるのか?」という問題は、『天女の羽衣』と同じ方法で解決されています。人魚は、人魚になるための衣を持っていて、それを着ると人魚になるのですね。本体は、人間型をしています。
 ですから、人間の男性がその衣を盗んでしまえば、人魚は人魚の姿になれず、人間の姿で、陸で暮らすしかありません。

 口承文芸では、終始、人間側の視点で、物語が語られます。
 アンデルセンの『人魚姫』が画期的なのは、終始、人魚の側の視点で、物語が語られることです。異類の側の視点ですね。
 この視点を、『魔法のマコちゃん』も借りています。物語は、終始、マコちゃんの視点で語られます。
 魔法少女ものとしては、この視点でないと、困るでしょうね。マコちゃんが魔法少女なのは、秘密なのですから、彼女の視点でないと、魔法を使ったことがわかりません。

 先に述べたように、人間の側ではなく、人魚の側が先に惚れて、人間になることを選ぶ点は、『人魚姫』と『魔法のマコちゃん』の共通点です。
 この点も、口承文芸とは違いますね。

 人魚が人間になる方法として、「海の魔女」を出したのは、アンデルセンのオリジナルです。
 『魔法のマコちゃん』では、「海の魔女」ではなくて、「おばば」が登場します。この「おばば」は、「海の魔女」と違って、悪役ではありません。長く生きて、いろいろなことを知っている、海の古老です。
 「おばば」は、「人間になりたい」と懇願するマコちゃんに根負けして、人間になる方法を教えます。悪役ではないので、人間にする代わりに、マコちゃんから声を奪ったりはしません。

 口承文芸では、人魚の女性と人間の男性とは、さっさと結婚します。
 アンデルセンの『人魚姫』では、最後まで、人魚と人間とが結ばれることはありません。そのまま、人魚は消えてしまいます。口承文芸以上の、大変な悲劇ですね。

 『魔法のマコちゃん』でも、マコちゃんと、彼女が恋した男性とは、結ばれません。これは、悲劇にするためではなくて、子供向けのアニメ―放映当時は、そういう扱いでした―だからでしょう。
 現代日本においては、十代の少女を主人公にした時点で、「結婚」は、なしですよね。コメディにするのでない限り。

 このために、『魔法のマコちゃん』は、異類婚姻譚とは言えません。異類来訪譚の一種とは言えますね。
 伝統的な異類来訪譚では、異界から人間界へ異類がやってきて、福を与え、また異界へ帰ってゆくのが、パターンです。

 口承文芸の異類来訪譚とは違って、マコちゃんは、異界へ帰りません。この点でも、口承文芸と一線を画しています。
 ただし、「人間に福を与える」点は、口承文芸の異類来訪譚と共通します。マコちゃんは、魔法を使って、人間に良いことをしますからね。
 これは、アンデルセンの『人魚姫』にはない点です。期せずして、伝統に回帰したのではないでしょうか。

 恋した相手と結ばれなくても、『魔法のマコちゃん』には、『人魚姫』ほどの悲劇性は、ありません。これは、「最後に泡になって消えてしまう」ことがないからでしょう。
 人魚には戻れなくても、マコちゃんには、彼女を好いてくれる人間たちがいます。そういう人たちに囲まれて、人間として、これからもずっと生きられることが、暗示されています。
 故郷と引き離されたことで、もの悲しい情緒はあっても、全体的には、悲劇とは言えません。

 『魔法のマコちゃん』は、悲劇性から脱したことで、口承文芸とも、アンデルセンの『人魚姫』とも、決別しています。

 ここまでの論を、まとめましょう。

 『魔法のマコちゃん』が、アンデルセンの『人魚姫』から引き継いだのは、
1)人魚の側が、先に人間に惚れる。
2)人魚の側が、願って人間になる。
3)人魚側の視点で語られる。
4)海に棲む、特殊な能力を持った者によって、人間に変えられる。
5)人魚は、惚れた人間とは、結婚しない。

 『魔法のマコちゃん』が、口承文芸と共通するのは、
1)異界から来た異類が、人間に福を与える。

 『魔法のマコちゃん』が、それまでの「魔法少女もの」から引き継いだのは、
1)魔法の道具を持っている。(←『ひみつのアッコちゃん』の魔法道具から)

 『魔法のマコちゃん』のオリジナルと言えるのは、
1)異類が異界へ帰らない。ずっと人間界で暮らす。

 やはり、圧倒的に、アンデルセンの『人魚姫』から影響を受けていることが、わかりますね。
 口承文芸との共通点は、直接的に影響を受けたというよりは、「魔法少女もの」というジャンルが、本質的に持つものでしょう。『魔法のマコちゃん』の時点では、生まれて間もないジャンルですが。

 口承文芸から見ても、それまでの「魔法少女もの」から見ても、「異界へ帰らない魔法少女」は、画期的ですね。

 今回は、ここまでとします。
 次回も、『魔法のマコちゃん』を取り上げる予定です。まだ、少し、言い残したことがありますので。



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