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ミュージシャンが結婚を明かすということ。

今年の11月22日(いい夫婦の日)はとても騒がしかった。
お役所や各種メディアは大忙しだっただろうな。
まだまだ結婚というイベントには縁遠い年齢にいる私はぼーっと見ているしかないが、さりげなくそのニュースは目に飛び込んだ。


「Official髭男dism藤原聡が一般女性と結婚」


正直衝撃だった。素直に祝福したい気持ちと、これまでの楽曲に変なフィルターがかかってしまう悲しい気持ちの両方があった。

恋愛ソングを持ち味にしているミュージシャンやバンドは、作曲者の体験やバックストーリーが見え隠れするから、心情に直接訴えるような曲に仕上がる。でもそれは見えすぎては覚めてしまうわけで、あくまでリスナーが自分を重ねられる余白を作ることが重要なのだ。

アーティスト自身も自分のプライベートを楽曲に重ねてほしくないと思っている人が多い。back numberの清水依与吏も自身が既婚者であることを隠してきた。楽曲に余計な先入観を持ってほしくなかったからと本人はコメントしているがまさにその通りで、リスナーそれぞれが持っていた解釈が崩れてしまうのだ。

back numberにとって恋愛ソングはバンドの根幹にあたる重要な部分であり、清水依与吏という人物像と深くリンクしているのだ。
花束EPをリリースするまで失恋ソングと片想いソングしかリリースしていなかった彼らが「花束」「日曜日」と幸せソングを開拓し、「高嶺の花子さん」で片想いソングの最高潮にたどり着いた。
しかし、清水依与吏が既婚者であったという情報が入るとどうだろう。
この頃は違う彼女がいた、この曲の時は誰と付き合っていたのか、余計な詮索が頭を駆け巡る。


クリープハイプの尾崎世界観やMy Hair Is Badの椎木知仁のようなアーティストであれば、自身の恋愛歴が明るみに出たとしても楽曲に深みが増してより楽曲の世界観が広がるが、今やメジャーJ-POPアーティストとなった彼らでは逆に曲が作りづらくなってしまう。

では今回の藤原聡の結婚はどうだろう。
個人的な意見としては、結婚するのは自由だが、公表するのはまだ早かったのではないかと思う。
Official髭男dismはJ-POPシーンを席巻できるバンドだ。彼らの伸びしろは115万キロでは効かないほどに広がっている。2019年のキラーチューン「Pretender」は文句のつけようがない楽曲だ。ここまで綺麗な片想いソングは聴いたことがない。


だが現状恋人がいる状態でこの曲を作曲していたと思うと若干複雑である。

私の大好きな「相思相愛」や「LADY」もフラットな状態では聴くことができなくなった。こういった意見はTwitterでもちらほらと見られた。
これから「宿命」や「コーヒーとシロップ」のような曲を連発するのであれば問題はないが、恋愛ソングをリリースするのであれば複雑な心境のファンも一定数いることも忘れてはいけない。


ミュージシャン、もとい作曲者が結婚を発表をすることは一種の賭けである。楽曲の世界観に深みが出るか、込められたメッセージを阻害してしまうか。日本人は本当に繊細な生き物である。

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