自分の心と体の中に種はあるか

聴く、無心に、と言いながら何かをイメージしようとすること。矛盾。当たり前だが動く前に考えて、動く時は無心。何かが違うような、、そこを接続する何かがあるような、、考えてから聴く(動く)のではなく、考えることそのものも聴くことであるような、一連の流れ。例えば今こうして感じて考えて言葉にすることも聴くこと

愛を体現する

先人たち、死者によって成り立っている今ここ、想いのつまった郷土、地域、くに。その土地で生き死んでいった人の声を聴き、受けとめ、何らかの形で、次の世代へ伝承していくこと。

心が痛む。その流れを絶やさないために命のつながりに参加しなければならないのに。蚊帳の外にいる。なぜだろう。それに参加しようという熱もなかなか起こらない。このまま発芽することなく根を張ることなく死んでいくのだろうか。憤りがある。私には命のつながりを邪魔する気持ちは一つもない、それを行っているのは資本主義ではないか。貨幣を得るために先人たちが築いた伝統文化が根絶やしになる。関わっている、という時点でその罪を負わなければならない、というのにどうにも納得がいかない。イジメの傍観者、ということになるのか。。私にできることはあるのだろうか。やはり命の足跡である先人たちが生きてきた土地を息づかせ続けることは、大切なのかもしれない。

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