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疑いだせば、切りがなく、自分で自分と自問自答してるだけ。
疑いだせば、切りがなく––––
––––僕が黄色といっている色は、別の人からすれば僕のいうところの赤かも知れず、同じ色が違う色に見えていたとしても、黄や赤と名付けているもんだから、コミュニケーションとしては成立してしまうわけで。
そもそも、僕らが見ている色というのは、光の反射の認識に過ぎない。
神様は、この世界を、ホントはどんな色で塗ったんだろう?
世界の真実は、宇宙のようなスペースに脳が1つ浮かんでいるだけで、今、見ている建物も、山も、空も、全部、バーチャルで、見えないその向こう側は、普段、ただ真っ暗な、ハリボテのセカイかも知れないな。
ビルの裏に行くことがあれば、裏側のイメージを即座に脳がでっち上げて、認識だけが形成されていく。今、話している対の人も、自分がつくり上げた架空のキャラクターかも知れなくて、だとしたら、自分で自分がつくった別の自分と自問自答してるだけ……。
そういえば、僕は、テレビの仕組みもよく知らない。ただ、そこに映っているという事象を当たり前だと看過したり、盲信してるだけ。その中の出来事ですら、僕の想像が創造した産物かも知れないのに……恐い、だとしたら相当に孤独。
でも、そうじゃないと確信する瞬間がある。本当のことは分からないけど、それは、たしかにある。
いかなるときも、絶対に、自分だけの都合良くはいかないし、僕の想像など及びもしないところで、今日も、到底、納得のいかないことが起こり続けている。
だからこそ、この世界が実在しているんだと、勝手ながら、安堵したり、憤慨したりする。
この世界は広くて深くて真っ暗だ。
想像は果てることなく続いて、僕は、今日も、また、ビールの海で泳ぐ。もし、この世界が、誰かさんの想像の中の世界だとしたら、インターネットまで創造した点については、誉めてあげたい。
––––2005年8月3日
【 マ ガ ジ ン 】
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