自分はどうしてもASD(アスペルガー症候群・自閉症スペクトラム)の人の愛着(庇護欲求)対象になりやすいためか
「自分は●●してほしいと思っている」と伝えると(あなたは私のことをすべてわかっているはずなのに!という大前提で)連絡先を全て遮断して行動化に出る方が出てきているので
自分の考えを表明しておこうと思う。
序論:すべては「意見交換のやり取りができないから困る」に帰結する
基本的に相手から異論を表明化されると行動化に移られるASDの方に対応していて
私が困るのは以下の点である。
ギャグみたいに書いているが、実際にこの「意見交換のやり取りができない」というのは疲労徒労が凄まじく
(わざわざ自分の自由意志で出ていった相手に「戻ってきてもいいんでちゅよ~」「ASDくんは何ひとつ悪くないんでちゅよ~」と
幼稚園児にするような尻拭いの呼び掛けまでしてあげなければならない)
経緯の説明ができれば終わることの多い場合でも
一時的にでもこちらの言い分を取り下げなければならない、という手間が加わるのも労力の負担が大きいのだ。
(そして自分の人生を費やして苦労したところで御本人の行動学習パターンとして気に入らないことがあると大抵再発する結果になる)
おそらく動作IQの方が高いのであろうが
「言葉での確認」ではなく「非言語的な状況からの読み取り」がコミュニケーションの全てだと思いこまれており
さらに、ASDの方特有の「自分が世界の中心として、その自分に向けられた意図がある行為」だという認知で受け取っているためだと思われる。
こう受け取ること自体は脳の生まれつきの機能であるため仕方ないなあ…とは思っているのだが
(※詳しくは前回の統合失調症の記事をご覧ください)
問題はその一方的な想像を基に勝手に断定して、確認すらせずに行動化に移られることである。
で、私もそれをやられて少なくとも楽しいとは思わないし
長期的に関係が続いたところで心身ともにボロ雑巾になるだけなので
私の頭の中で想定できるケースを書き出して、その上で私自身の見解を綴っておこうと思う。
【ケースA】「お前に責められているように感じるから関わらない」である場合
→人が誰と関わって生きていくかは個人の自由意思なので尊重したいと思う。
ただしこれは「お前の意見を俺は一切聞き入れない」という決意に他ならないため
私自身も個人の自由意志の選択として「自分から尻拭いして関わる選択はしない」という形になる。
(私はchat botでも無条件に従う役目の奴隷でもないので、意見交換すら拒絶する相手に合わせる負担を費やす義理はない)
【ケースB】「相手が頼み込んで『戻ってきて』とお願いしに来るだろう」である場合
→私と関わることで人間的な発達成長がないどころか
ASDとして他者との誤った距離の取り方の学習となってしまうため
(関係が続くのかどうかは別として・少なくとも自分からは)尻拭いしない方がよいと判断する。
【ケースC】「自分を人質にすれば自分の望みを無条件に受け容れるだろう」である場合
→そもそも「他者には他者自身の(自分とは異なる)意志や人格がある」という想定がないのであれば
そもそも私に限らず他者と関わる必要自体がないだろう。
またケースBと同じく、これも私と関わることでASDとして他者との誤った距離の取り方の学習となってしまうため
尻拭いはしない方がよいと考える。
【ケースD】「自分の意見を相手に伝えられないから」である場合
→良いか悪いかは置いておいて、これも御本人にとって「(自分とは異なる意志や人格がある)他者」が必要無い状況であり
自分の世界だけで完結していて問題ないのであればわざわざ「異物」である私が関わりに行く必要もないだろう。
ただもしかすると自分を変えたいという方がこの文章を読む可能性も有り、
(引用の範囲は越えてしまうかもしれないが)誰かの役に立つかもしれないので情報のリンクを貼っておこう。
結論:好きに生きればいい。私も好きに生きる
「他者の考えを受け容れない」というのもひとつの立派な生き方であり、自由だ。
その選択と尊厳は誰からも強制される謂れはない。
ただし一方で、(私を含めた)他者にも
「そういう生き方をする人間と付き合うかどうかを選択する自由と尊厳がある」ということだ。
また、個人的な意見ではあるが
ASDの人は自分から「お願い」をしてでも関わりたいと思える相手とだけ関わればよいのではないかと考えている。
私がEnabler(依存症者の尻拭いをして依存を手助け・悪化させる周囲の人間)として関わり続けるよりも
(関係を自ら切った責任は自分で負っていただき)こちらからフォローしたりしない方が長期的には御本人や今後関わられる方にとって(要は社会にとって)プラスになるだろう。
なので今後は依頼された場合でも御自分の自由意志で出ていった人に対する尻拭いの呼び掛けなどは一切行いません。
私という他者ではなく
・「御本人が」どうしたいかというのを
・「御本人自身の責任で」選択し
・「自ら」行動してもらってください。