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お金を稼ぐ経験を通じて発見した感情

おはようございます。マッキーです。

noteを書いたりソロギターを弾いたり、英語や日本文化、他人のいいところ研究所所長兼主席研究員をしながら接客業に従事しています。愛妻家であり愛国者であり、一児の父でもあります。皆様、いかがお過ごしでしょうか?

さて今日はですね、僕らの中にあるお金儲けに対する罪悪感について僕なりの経験を踏まえて書いていきます。誇張なく言うとかなり根深い問題がここにあります。

最近の僕のチャレンジは有料の記事を世に問うている事です。100円とか200円とかのコストを、わざわざ先に読者の方に負担頂きます。これに踏み出すまでには勇気が必要でした。文章の能力だけで他人にどう評価されるかを試す事になるので、誰の目にも触れなかった時に自分がどういった感情になるかを想像すると、少しの恥をかくことも覚悟しました。もちろん多くの楽しみもあった。結果から言うとやってよかった。ただはっきりと言えることは、記事の内容は僕が自信を持って書いたことだ。他人からの評価よりも自分だ。産みの苦しみを経て紡ぎ出したものに価値をつけてやるのはまずは僕自信だ。そのくらいのつもりで向き合うのがちょうどいいと思います。自然に指を走らせると、気持ちが強く乗り移った時は文体が変わっていきますね。ここにも文章を書くことの楽しさを感じます。話が大いに逸れました。

さて、お金に対しての罪の意識についてですが、僕は一昨日の有料記事を投稿したことに対する考察を有力記事として昨日発表しました。
一昨日の記事をお買い求めいただいた僕の親友に対して、昨日の記事を有料で発表することと、それをプレゼントという形でその友人に届けようと思いメッセージを送りました。もう一度言いますが、拙い文章ですが記事の内容には僕にしか書けない内容という自信があります。その反面「連日友人にコストを負担させてしまうことへの罪悪感」「無理をさせてしまい友人関係が傷つくことが怖い」などの感情を覚えました。

プレゼントするとメッセージを送った後、ハッなりました。僕は間違えた事をしたかもしれないと。価値提供=対価であると普段主張しながら、友人関係に傷がつく事が怖いなどとよく出来た言い訳を自然に頭で練り上げていたのです。そもそも他に購入頂いた方もおられる訳ですし、その人からすれば不平等な話です。冷徹かもしれないですが有料記事の投稿前に「返金も可能である」と選んでいる以上、購入された方が納得されなかった場合は、返金を申請されればそれでいいのです。それが健全なお商売だと思います。
お金を稼ぐことの意義ってお金を稼いだり使ったりすることで、初めて自分の頭で理解出来ることですね。そんな事を思いながら親友がどう感じるかの返信を待ちました。

すると友人から返信がありました。


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