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文化を信じる、人を信じる

おはようございます、マッキーです。

みなさん、如何お過ごしでしょうか?


僕は今年で37歳になりますが歳を重ねるごとに思うのが「文化の力の偉大さ」です。特に時代が大きく変化している今強くそれを感じます。

例えば幼い頃、神社やお寺に行ってもそれらは当たり前に存在する場所であり「街の景色は変わるのに、なんでここだけ変わらずにいられるのだろう」そんな疑問を抱くことはありませんでした。

それが時間と共に、大学や就職、留学などで街を一旦離れると変わりゆく街や社会に驚かされるとこってありますよね?

それでも年に一度、初詣に行くことは変わらないし法事などでお寺と関わる事に変化はありませんでした。相変わらず人が集まる場所です。時間が経つにつれて

「自分が生きてきた時間よりも、長く存在しているものがそこにある」そう、感じ始めたのです。

視点を変えると人の命はやがて時がくれば尽きます。文化や信仰、思想については語り継ぐ人がいる限り、死なないのです。その観点で誤解を恐れずに言うと「人の命よりも大切な物はある」。

もっと言うと「自分の命よりも、大切にすれば代わりに長く生きてくれるものがある」。そう言えるのではないでしょうか?(とはいえ、僕は元来のビビり体質で、高いことろや暗いところが極端に恐怖を感じます。死ぬのってみんな怖いですよね。)

大学時代、兵庫県福崎町に下宿していました。当時、仲の良かった友人たちと、余部鉄橋まで好奇心だけで小さな軽自動車を片道4時間ほど走らせました。(青春って感じの行動力です。ただ、今の方が頭の中は無駄が多いです笑。とても生きやすいです。)

当時、剥き出しの鉄骨の余部鉄橋の足元から冬の日本海の荒れ狂う波に恐怖を感じたのを今でもよく覚えています。自分の生命力よりも、遥かに圧倒的な強さと厳しさを感じました。この大自然が牙を向いたとき、人間は無力な物だと自然に悟りました。

また、東日本大震災の翌年に友人と岩手県の一ノ関から大槻町までレンタカーを走らせた事がありますが、ナビには市役所や駅、商店街や銀行など人が集まる場所が描写されているのに目の前には、ただ単に車を走らせるだけの道があるだけでした。ここでもとてつもない恐ろしい感覚になりました。

自然の中に畏敬の念を持つ事も日本においては信仰の対象となるのは、こんな理由があるのではないかと思います。

そんな大きな力を持ったものとうまく付き合わなければ自分たちのDNAを後せに残す事が出来ません。

そういう流れで編み出されたのが信仰や文化、思想ではないでしょうか。(僕の経験に基づく個人的解釈の一つです。)

江戸時代、日本は鎖国があったので浮世絵など、独特の文化が育ったと言われます。

武漢熱の騒動で、国だけでなく家からも外に出る事が出来ない今、違う見方をすれば、既存の文化や思想を深めたり、変化に必要な新しい物を創造する機会ではないでしょうか?

僕の命がいつまで続くかは誰にも分からないです。あなたも同じはずです。そう考えると、自分が死んだとしても、もしも残せるものがあるなら、少しの希望になるかもしれません。

今ある文化の背景には、名も無い人々の思いの重なり合いがあります。それには年月を重ねた分、生き延びる為に必要な知恵やヒントが散りばめられています。

また過去と今と未来を繋ぐもので、ご先祖様との繋がりを感じられるワクワクツールでもあります。

日本書記にも疫病が蔓延した時に対処した事が記載されていると聞きます。自分たちの行いや、神様の祀りかたを見直したことで克服したとあるようです。誰かのせいにするのではなく、自分たちが出来ること模索したのです。

ウイルスも、人間の文化と同様に生き残る為にあの手この手を尽くしているので、それに負けない変化と知恵、行動、改善が必要です。

最後に幕末の思想家である吉田松陰さんがお弟子さんの高杉晋作さんから質問されたようです。

「男子が死ぬべき時っていつですか?」これに対しての答えが、

「生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。死して不朽の見込みあらば、いつでも死すべし。」

なるほどなぁ、落ち着きはなっているなぁ。(僕は大業の見込みありと自分で感じておりますので、もう少し生きてみようかしら。これは希望だな。)

大切な思いを紡いできた先人の思いに触れて、今一度、人を信じてみませんか?信じてみると信じてもらえるものです。きっとあなたの自信につながりますよ。

応援しております。

では、良い1日を。

ビックラブを送ります。


マッキー



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