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透明な病と生きる 自律神経失調症 序言~第1章 ”炎の匂い、染みついて”

序言

人生は誰しも一度きり。自分らしく生きて、幸せになりたいと願って日々を生きる人がほとんどでしょう。そのために学校へ行ったり、仕事をしたり、趣味を楽しんだり、恋愛をしたり、様々な活動をしてライフステージを上っていきます。それが順調に運ぶことが「人並みの幸せ」と言えるのかもしれません。
私もそれを願って生きていたうちの一人でした。大学へ行って就職して、そこそこに働いて恋愛して結婚して、子供を育て、家族で過ごす喜びとともに歳を取っていく。そんなささやかな生活が夢でした。

しかし今のところ、それは叶っていません。
多くの方がそのプロセスを歩むであろう、20代の貴重な時間は「ある病」によって奪われたのです。

その病の名は自律神経失調症

原因は様々ですが、現代ではストレスが原因となって引き起こされることが多いと言われています。
人間の自律神経は交感神経と副交感神経の2つに分かれていますが、それぞれが相反する働きをすることで心身のバランスを取り、状況の変化に自動的に対応しながら生活できるようになっています。それが失調を起こす、つまり2つの神経のバランスが崩れることで様々な症状を起こします。自律神経失調症は正式な病名ではなく、その様々な症状の総称とされています。症状は実に多彩であり、身体的なものの他、軽度のうつ症状など精神にも影響することがあり、あらゆる方面から心身を蝕んでくるのです。
自律神経がある限り、誰でもなり得る。しかし明確な診断基準がなく、ゆえに「完治」を示す指標もない。
程度にもよると思いますが、私の場合は複数の症状が何年も続き、安定剤なしでは働くこともできず、他の社会生活も大きく制限されることとなり、結果として多くの時間を無為なものにすることになってしまいました。

今そこにいるがんばっている人へ。
私は自分の体験を経て、他の誰にも過去の私のように長くて辛い暗闇を歩いてほしくはないと思うのです。意図せず光に背を向けて立ってしまっている人を、また光の方へ向かせる手助けになれば、という願いを込めて、私が歩いた地獄と、そこから抜け出すまでのことを書いてみようと思います。
私がこの病になって、そして今でもですが、何がつらいかというと健常な人にはこの苦しみがほとんど伝わらないということです。「疲れている」「体調不良」「休むのが下手なだけ」など、当事者になったことのない方はそんな捉え方をします。自分と、そうなったことのある人にしかわからない。
まさに“見えない病”なのです。

もしも今の自分と重なる、近い状況にある、なんとなく調子が悪いけど何なのかわからない、既に同じような症状に苦しんでいる、という方。そんなあなたに向けて、経験者として共感を示し、そっと寄り添える文章になっていれば幸いです。


第1章 炎の匂い、染みついて

私はかつて、ある会社にて平社員をしていました。その会社の労働条件は土日祝休みで、1日8時間・月平均168時間勤務のどこにでもある平凡なもののはずでした。
しかしいざ入職してみると、すぐにそれは建前上のものであったことを知るのです。

仕事量の多さ、日中の激務から残業も多く、さらに休日出勤も当たり前。有給は誰も取らないから実質的に「取れない」。いわゆるブラック企業だったのです。さらに部署のボスは、社外でも知っている人は知っているパワハラ体質の塊のような人でした(就職する前に誰か教えてくれていたら絶対に入らなかったのに)。ボスが黒といえば白い物も黒になり、事あるごとに怒鳴り、こちらが何か言えば「お前らに選ぶ権利なんかあるか!」と言うような感じで、あたかも戦時中の突撃部隊にいるかのようでした。

日々襲い来る激務を必死でこなし、どれだけ真面目に頑張ってもちょっとしたことで謂れのない怒りを向けられ、それを避けるために顔色を伺いながら過ごす。昼食の時間がとれないような日も時々ありました。そしてあるべきはずの休みは削られ、たまに来る休みは文字通り「休む」以外に過ごせない。勤務予定上は「休日」でも、直前まで本当に休めるのかどうかわからず予定は入れられない。おかげで友人にも「いつも誘っても行けるかわからないって言うし、忙しいんでしょ?」と昼間のイベントには誘われなくなりました。よくある表現ですが、実際に「職場と家の往復」の毎日となっていったのです。
ブラック加減は入職してからエスカレートの一途を辿り、社会人3年目の頃だったか、一番ひどい時で40日以上連続勤務、休日出勤を含む月の時間外労働は100時間近くに上ることもありました。
まさに月月火水木金金。軍国主義の極みですね。

ちょうどそのころ、私はとある別の病気になり、手術のあと1週間ほど入院することになりました。原因は明らかでない病気でしたが、その直前は業務量の多さとパワハラの圧がかなりひどかったので、きっとそのストレスが原因だったのでは、と思っています。
ちなみに、クリスマスイブの夜に入院してそのまま病院で年を越しました。なんてこった。

年明けに退院し、程なくして職場に復帰しました。あとで考えるともっと休んでおくべきでしたが、このような雰囲気の職場では
「早く仕事に戻らないと…!他の人に迷惑をかけるわけには…」
という思考になってしまうのが恐ろしいところです。まるで戦争の熱に染まった人のように。

私が働く部署は人数が少なく、当時は私の他に先輩が3人いました。ところが私が復帰したとき、先輩の一人がいなかったのです。たまたま体調でも崩して休んでいるのかと思いましたが、どうも周囲の様子が違いました。聞けば、私が復帰する数日前から精神的なことで出勤できなくなり休んでいるというのです。結局その先輩はその後も復帰できず、平たく言えば精神を病んだことを理由に退職となりました。先輩も私と同様、その前の時期にはかなりひどいストレスに晒されていたはずです。たまたま私はそのダメージが身体に表れ、先輩は心に表れたのかもしれないと思いました。もしかしたらそうならない方法が何かあったのでは、先輩も救えたのではと後悔しています。
その時の私は、これから本当の地獄が待っているとは知る由もありませんでした。

第2章につづく
透明な病と生きる 自律神経失調症 第2章 ”地獄を見れば、心が燥く”|月 (note.com)


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