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【掌編小説】春の風

 私はとても弱い人の面倒を見ていました。
 夏の日差しも、冬の空気も、彼の柔肌はそれを透過して負荷を蓄積してしまうのです。堰き止めておける負荷の量は多くはなく、そしてその堤防が決壊することは命の危機と同じことでした。
 彼はとても弱く生まれたのでした。
 気持ちの昂ぶりもいけません。彼は喜びも哀しみも笹舟を川に流すように見送ります。その切なさにはとうに慣れたようでした。
 そんな彼も、もう終わりました。
 最後の時、彼は教えてくれました。
 春の季節が好きだったと。
 ゆっくりとした柔い時の流れが好きだったと。
 寂しさを次第に埋めていく温かさが好きだったと。
 私は、そうですか、と伝えました。
 すると彼は、ありがとう、と仰いました。
 カーテンにブラシを掛けて汚れを落としたことを感謝されました。
 彼は陽の温もりが残るカーテンに包まるのが好きでした。それに残る僅かな花粉の香りだけが彼に触れた春の風でした。
 小さな世界の、ささやかな風です。
 私は沢山の言葉を送りました。
 実ることのない励ましでした。
 残ったのは私だけでした。
 私はまだ、この風を見送れずにいます。


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