貧困人生の始まり・・

<生まれた家>

大阪の中央付近を通る川のほとりで生まれました。

家は祖父の持ち家に祖父母と両親と暮らしてました。

建物はボロボロで屋根瓦はズレて雨が降ると雨漏り、

台風がくると瓦が飛ぶ。そんな家でした。

台所の床は腐ってるので慎重に歩かないと割れるのでした。

父親は日曜になると屋根の修理や部屋中の修理をよくやってました。

DIYの先駆け的な人物だったかも(爆)

風呂は無かったので銭湯通いでした。

それも1週間に1度だけ。

毎日行ける余裕がなかったのでしょう。

でも子供の僕にしたら風呂は1週間に1度が当たり前と思って

たので普通でした。頭が痒かったですが(爆)

友達の家も同じような境遇だったので風呂=銭湯と社会人

になるまで思ってました。風呂付住宅があることを知った

のは18歳になり社会へ出た頃でした(爆)

母親はパートに出てて小学生だった僕が帰宅すると祖母が

おやつを作ってくれました。おやつの名前は「かぼちゃ」

と「じゃがいも」。。これが日替わりで出されて食べて

ました。味に飽きたら、塩ツボの塩を指先に付けてなめて

ました。これが何年も続くと貧乏家庭ということが子供

ながらに分かりだしてきたのでした(爆)


<小学生アルバイト>

アルバイトは母親がパートで働く饅頭屋でお餅やお菓子の

出前配達をしてました。正月は特に鏡餅の配達が多く、

つきたてのお餅は冷える途中で衝撃を与えると表面にヒビが

入り売り物にならないので神経を使いながら配達しました。

もう50年前の話しですが鮮明に覚えてます。

人間て苦労したことやひどい目にあったことは

いつまでも覚えてます。

後に振り返った時に良い思い出と思えれば良いのですが。。


<祖父は自治会長>

同居していた祖父は、自治会長を何期か務めたそうです。

僕が生まれる前の話しなのでかなり遠い昔ですね。

昭和初期の日本は市会議員、村会議員など務める人は、

地主や、やくざの親分など地元の実力者が多く自治会長

という役職もそれなりの評価を得ていたようです。

そんな祖父はマージャンが好きでそういった地元実力者を

家に招いて賭けマージャンをしょっちゅうしていたそうです。

ある日、マージャンに熱中しすぎて空き巣が侵入。祖母の

着物や踊りのお稽古道具など盗まれたそうです。祖母は激怒し

地元実力者全員が祖母に土下座して誤ったそうです。

その日以来、祖父はマージャンをやめたそうです。。

(次号に続く・・・)

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