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精神科なんて受診しなければよかったんじゃないかって

今年も正月早々死にたくなって仕事ができなくなり、禁酒とか関係なく気分が落ち込んで、仕事に復帰したのはいいものの遅刻しまくって詳しく持病の話をする羽目になり、noteの存在なんて忘れて10日が経ち、今はなんとか体調を持ち直して低空飛行に向けて助走を始めたところです。

冬とはいえ引きこもり完全体だった去年に比べたら圧倒的に日光を浴びて、運動量も増え外界(人)と関わるようになり、人間らしい生活に慣れ始めたはずの今日このごろ。ドクターや親しい人からのアドバイスに従っても人生思うようにはいかないもので、気がつくと「顔死んでるけど大丈夫?」と言われてしまうのです。ふとした思考の隙間に潜り込んでくるのは何百回何千回擦りまくったかわからない失ったものたちとの別離。だらだらと生きてきた割に恵まれていた年月が一気に瓦解したここ数年の走馬灯。

しかしまあ話はいろいろですが、なぜか眠っても眠っても眠いのです。昼休みはご飯を食べる暇があったら眠ります。そして眠るだけの休日、日が落ちると共に人生が終わるような恐怖と絶望感を感じて、薬で思考をシャットアウトして凍えるような朝を迎えます。冬の朝、キリッとした静謐な空気に心が踊らなくなったのはいつからでしょう。歳を重ねるとは悲しいものです。減薬すれば悪夢と中途(又は早朝)覚醒の嵐、薬を変えればまた新たな副作用に苦しむでしょう。半ばやけくそで薬漬けが気持ちいいと発言することもありますしそれは本当なのですが、僕の年齢から日に二桁錠の精神薬を服用し続けるのが体に良かろうはずもありません。薬がたとえプラセボだったとしても、それによって自身がある程度コントロールできているという安心感には中毒性があります。依存体質の僕ですから、酒と借金を止めた代わりに薬が心の拠り所となっているのです。

改めて振り返ってみると、一番楽しかった時期は大学生の頃でした。好き勝手やりすぎて全く単位を取らず中退しましたが、大切な友人に囲まれた中で創作に打ち込めて幸せでした。人生で度々あったニートの時期も捨て難いものでした。ふと思うことがあります。精神科なんて受診しなければよかったんじゃないかと。借金まみれだろうが昼夜逆転しようが先生に見放されようが、僕は毎日が楽しくて幸せでした。他人から見たら終わっている状況でも何一つ憂いてはいませんでした。

生きてるだけで丸儲け。病んでから度々耳にするようになりました。診断が下される前、僕は生きてるだけで丸儲けでした。生を受けたからには自由に楽しく生きていこうと自然に思えていました。最初に受診したときの症状はそれまで体験したことのないくらい酷いレベルで急性でした。警察から度々警告を受けており、病院にかかっていなかったら間違いなく逮捕されていました。仮に受診せず逮捕されていたとして、それで全て失うことになっても、僕はそれまで通り楽しく生きていけたでしょうか。それとも、たとえ挫折を繰り返して病んで今のように死んだ目で生きていても、受診して正解だったのでしょうか。一般的には後者が是とされるのでしょう。でも僕の主観では判断できません。いずれにせよ一旦全てを失うのですから。

幸せとは。

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