いろいろあって、いまがあるーいまと過去のごはん理論ー
20代後半にもなると過去を懐かしむことが増えてきます。
最近気づき始めたことですが、ぼくたちは「過去」をおかずに「いま」という白メシを味わっているんだと思うんです。
みんなが「いま」を生きていますが、その生き方や捉え方は人それぞれ、それはきっとみんな経験してきた過去がバラバラだからです。
自分のことでいうと、
小樽に生まれ育った過去
今からは想像できないくらいやんちゃだった過去
とにかく読書に夢中だった過去
中学生で発展途上国に一週間行った過去
常に優等生ポジションだった過去
学校教育や社会のレールに反発した過去
大学生で地域活動にのめり込んだ過去
1年間韓国に留学した過去
人の集う「場」に興味をもち始めた過去
などなど。
そうした無数の連続した過去がいまの生き方や考え方を紡ぎ出しているわけで、「いま」という白メシをどう味わうかは、過去という一人ひとりのおかず次第なんじゃないでしょうか。
今回このサカノマチ学舎をやろうと思ったのも、きっとそうした過去の積み重ねがあったからです。
ぼく自身、自分の過去から、
社会や人は決して完璧ではないこと
学歴や学力よりもまず大事なのは人間力であること
学びは日常にたくさん散らばっていること
考えるだけではなく行動することが重要だということ
「楽しさ」や「喜び」が人生の活力となること
など、いろんなことを(自然に)学んできました。
それが意図せず、サカノマチ学舎へとつながったわけです。
ぼくたちの「いま」には、こういうことが溢れているのではないでしょうか。
そう考えると、過去がものすごく尊いものに感じられます。
と同時に、「いま」もいつか未来のおかずになるわけで、それもまた同じように尊いものです。
人生に正解がない、っていうのもそういうことなんでしょうか
今日はこのへんで
(コウト)
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