忘れもしない日 ~人生のターニングポイントvol.13~ 退院 決別
一番若く、入院者の後輩の位置を守ってきましたが、
いつのまにか一緒の時期に入院していた、
おっちゃんやおばちゃんは、
皆退院し、
私が一番入院期間が長い、最長老になっていた。
病棟看護師はもちろん、売店のおばちゃんやレストランのおばちゃんたちとも仲良くなっていて、居心地は良かった。
そんな私も、ようやく5月末に退院することになった。
まだ、杖を使えば転倒の心配がなく歩けるレベル。
もちろん退院した後も週に2回、外来でリハビリに通い、歩行練習。
事故をおこした、友人には、入院中何度も何度も私のリハビリをしている姿を見てほしいと伝えていたが、一度も来ることはなかった。
退院まで残り1週間だったとなった、そんな時、
どこから退院の話を聞いたかはわからないが、事故を起こした友人とその母親が、リハ室にお見舞いに来た。
リハビリの受付の方から呼ばれ、友人とその親に、杖をついて歩けるようになった状態の私の姿で会った。
さきに、書くが、今回の事故で、その友人と縁を切ることは考えていなかった。
むしろ、
一生背負っていくであろう十字架に押しつぶされないよう、
一生友人でいるつもりだった。
そのことを、その友人にも伝えていた。
しかし、それが一瞬で崩れた。
杖をついて歩けるようになっていた私を見て、その友人が言ったひとことに、自分の中で、ブチ切れる音がした。
その彼が発したひとことは、
「走ったりできんと?」
この一言で、すべてが崩れた。
今目の前にいる人は、だれですか?
あなたは、私とどういう関係がある人ですか?
ほぼ、その彼との記憶がなくなるくらいの衝撃的な言葉でした。
こういう時って、怒鳴るとか、罵倒するとかじゃなくて、
意外と冷めた感情になることが分かった。
事故の話をすると、「事故のとき運転していた友達は?」とよく聞かれます。
事故に遭った時、大事故にも関わらず、その彼は無傷だった。
(その時は、こころには、深い傷を負ったと思っていましたが・・・)
思わずハンドルを切っていたらしく、助手席側から都市高速の橋脚に突っ込んでいたとのこと。
車の助手席が潰れ、車は橋脚を巻くように、大破していたとのこと。
私は、友達をやめるつもりは、まったくなかった。
でも、彼には、伝わるものがなかった。
さようなら。もう二度と会うことはない、さようなら。
でも、私の持ち前のポジティブシンキングでいくと、
ひとが経験したくても、
出来ないことを経験させてくれて、
その経験が今の自分にプラスに作用して、
今の自分を作ってくれていると思うので、
感謝しています。
ありがとう。
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