忘れもしない日 ~人生のターニングポイントvol.10~ リハビリ② 平行棒の外へ
2月18日
『義足をつけてのリハビリ2日目。
なんとなく歩きのコツはつかめた』
と日記に書いているが、
この後、平行棒の外が大海原だということに気づく。
義足歩行練習は、切断してから早期に始める方が良い。
理由は、幻視(足があるような感覚があること)があるから、
歩く感覚が残っているうちに練習することが歩行獲得に繋がりやすいためである。
私も、右脚がある感覚はあるが、
脚がぐちゃぐちゃになってから、切断するまでに時間が空いてしまったこともあり、
幻視はあるが、どちらかといえば幻肢痛(無いところが痛い)のほうが強かったと思う。
ある夜、
ベッドの上でテレビを見ていて、ふと気づいたら右脚のすねの部分を擦っていた。
足がないので、ベッドを『ヨシヨシ』してた(^-^)
あと、余談ですが、
無いところの痛みは、まだ我慢できるのですが、
無いところが痒い時は、我慢できない・・・痒いところに手が届くのに、届かない((+_+))
時は経ち、3月3日(水)
『歩くコツをつかんだ』と偉そうなことを書いてから、
半月が経ち、やっと平行棒内で手を離して、歩くことが出来た。
後は、平行棒の外へ出るだけと思い、何度も挑戦するが、一歩が出ない。
転倒するのが怖い・・・
この時期、リハビリの1期生の先輩方の卒業式があり、
どうしても熊本に行きたくて、
リハの先生に行っていいかをめちゃくちゃお願いしてた。
車いすで、電車で熊本まで行くつもりでいた。
しかし、リハの先生からは、
「シャバはそんなに甘くない」
「今の状況で車いすで行くのは無理があるから、駄目」と・・・
何度も何度もお願いしたし、
何度も何度も何が出来れば行くことを許可してくれるか聞いた。
でも、答えは、駄目だった。
今思えば、確かに、リスクが高すぎる中、許可は出せないですよね。
そんな時、リハの年上の友人から電話が・・・
友:「しょうた。リハビリは順調?」
私:「平行棒の中では、歩けるようになったんですけど、
平行棒の外は別世界のようで、まだまだです・・・」
友:「しょうたにお願いがあるんやけど」
私:「?何ですか?」
友:「卒業式の後の卒業パーティーに参加してくれん?」
私:「えっ?参加したくて、何度もリハの先生にお願いしたけど、駄目でした」
友:「俺が車で北九州まで迎えに行くけん。そして、北九州まで送るけん。よか?」
私:「まじですか?それなら、行けると思います。ありがとうございます」
本当にうれしかったし、熊本に行けて良かった。
それをきっかけに、平行棒の外へ出れるようになった。
まだまだ、歩いているというには、程遠いが平行棒の外へ一歩を踏み出すことが出来た。
これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。(アームストロング船長の言葉)まさに、こんな感じやった。
これは歩ける人間にとっては小さな一歩だが、私にとっては偉大な飛躍である。(ショータストロング船長の言葉)
一歩を踏み出すのに、
何がきっかけになるかはわからないが、
今までやってきたことや、
今までの出逢い、
今までのすべてが
必ず何かのきっかけになる
しょたを
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