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忘れもしない日 ~人生のターニングポイントvol.zero~

12月30日に

忘れもしない日 ~人生のターニングポイントvol.1~

を投稿しましたが、

今日は、事故に遭うまでのことを書いていこうと思います。

当時、熊本県のリハビリテーションの学校に通っている学生でした。

実家は、北九州市ですので、12月29日に年末の帰省をしました。

毎年恒例の年末の帰省でした。

ただ、後々考えてみれば、例年と違ったことが多々ありました。

まず、例年帰省する前は、一人暮らしの部屋の大掃除をして、帰省します。

12月29日は、友人Aと遊ぶ予定、12月30日は、友人Bと、31日からは彼女と過ごすなど、すべての予定を決めてから帰省します。

しかし、その年は違いました。

大掃除もせず、だれとも遊ぶ予定も入れず、ふらっと帰省しました。

12月30日、高校時代の友人から「車を納車したから遊ぼう」と電話がありました。

その友人とは、高校を卒業してからは、遊んでいませんでした。

例年であれば、予定を決めて帰省しているため、「ごめん、予定があるんちゃ」と断ると思います。

でも、予定がない私は、「いいばい」と返事をしました。

スポーツカーで迎えに来た、友人は車を自慢げに見せ、

50㎞規制の道を100㎞以上の速度で走って見せました。

私は、速度超過に対して、ブチ切れ

「スピード出しすぎやろうが、事故ったらどうするんかちゃ」と注意していました・・・

17時ころに、母親から電話があります。

「晩御飯はどうするんね?」

母親から、晩御飯をいるかいらないか確認する電話は、今まで生きてきてそれが初めてでした。

(あとあと、母親から聞いた話では、なんかあんたに電話しとかないとと思ったらしい)

※虫の知らせ?というやつなのか・・・

その約1時間後、事故に遭う前、赤信号で停車したところまで記憶があります。

その信号停車から5分後に事故ったとのこと。

事故前から、事故直前の記憶が全くありません。

ただ、3枚の静止画としての記憶だけはあります。

1枚目:目の前に、キラキラしたものがたくさんある画像(たぶん、フロントガラスが割れたところだと思う)

2枚目:運転席の友人のエアバックが出ている画像

3枚目:私の乗っていた助手席側のエアバックがなく、エアバックでてねーという画像

その後は、vol.1で書いた流れです。

車いすバスケで知り合った友人たちと事故に遭った話をすると、

ほとんどの人が、

『普段は絶対通らない道を、なぜか通った』

『普段は、絶対外に出ない時間に、なぜか外出した』など

無意識に、普段と違う行動をとっていることがわかりました。

皆様も普段と違う行動をとる際は、十分気を付けてください。

「信じるか、信じないかは、あなた次第です」

信じるか信じないか_LI


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