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Vol.2 ドミニカ共和国ってどんな国?

こんにちは。

本日はVol.2ということでドミニカ共和国についてご紹介した後、実際に遭遇したエピソードなども交えて紹介していきます。

まず、最初にドミニカ共和国を紹介する理由として、これから書いていく内容を皆様がより理解しやすいようにドミニカ共和国のお国柄や雰囲気を感じて頂ければと思いご紹介していきます。

ドミニカ共和国の基本情報


日本からの移動方法としてアメリカを経由する方法と、メキシコを経由する2つの方法があります。私達は、成田空港から約12時間30分のフライトでメキシコ・シティ国際空港へ移動。その後、12時間30分のトランジット(乗り継ぎ)があり、その後約6時間30分のフライトでサント・ドミンゴ国際空港へ到着しました。約31時間30分の移動時間なのでかなり遠かったです。

ちなみに、メキシコシティを出発する際1:30発のフライトだった為寝るべきか寝ないべきか悩み寝なかったことを今でも後悔しています。

ドミニカ共和国は中南米カリブ海に浮かぶ「イスパニョーラ島」の東側約74%を占める面積がドミニカ共和国となっています。

人口は約998万人となっていて、人種としては欧州系が16%、アフリカ系が11%、”ムラート”と呼ばれる白人と黒人の混血が73%となっています。

公用語はスペイン語ですが、ホテルやレストラン、空港等の一部には英語を解する人もいます。しかし、市中ではほとんど通じません。ちなみに、私達の宿泊したホテルのスタッフは通じませんでした。

気候としてはカリブ海特有の亜熱帯海洋性気候の為、年間平均28度、湿度は82.5%と非常に高くなっています。私が滞在した3月は比較的過ごしやすいとされているようですが、毎日が真夏日のような暑さでした。また、気温が非常に高いためかエアコンの設定温度が非常に低くなっていて、寝るときは少し多く着たほうが良いくらいです。

少し話が逸れますが、私達の宿泊したホテルはエアコンの温度調節が出来ず、オンかオフの2択でした。

こんな感じでした...

ドミニカ共和国の国民性としてとにかく陽気な国民が非常に多いです。

実は、ドミニカ共和国の空港で入国審査を済ませ、最初に会話したのがハンバーガーを食べていたおじさんでした。決して悪い人ではなかったです。

また、入国審査の際、係員がYoutubeでラテンの音楽をかけながら審査を行っていました。「調子はどう?」「ドミニカは初めて?」「ドミニカ楽しんでってね!」と審査どころか普通の会話だったので驚きました。まるで、ドミニカ共和国の広大な自然と開放的な青い海原を表しているようでした。

ドミニカ共和国で流通している通貨は「ペソ(PESO)」と呼ばれています。2021年2月17日現在では、1ペソあたり日本円で約1.82円。私が訪れた時は1ペソあたり約2円でした。例えば、50ペソで飲み物を買うのであれば約100円相当であると計算できますね。ちなみにホテルで500mlの水が30ペソで購入できたので約60円くらいでした。


ドミニカ共和国の文化やスポーツ  

            

基本的な情報はこの程度にして、次にドミニカ共和国の文化やスポーツに関して紹介していきます。

ドミニカ共和国でほぼ全ての国民が踊れるものがあります。それは「バチャータ(Bachata)」と呼ばれるいわば社交ダンスのようなものです。男女で踊るものでとにかく情熱的な国という部分が見えてきます。実際に私も現地の大学生と踊ったのですが、めちゃくちゃいい匂いがしました。バチャータが上手な人は異性にモテるとかモテないとか・・・

こちらを見れば分かる通りとにかく情熱的です。私はめちゃくちゃ好きです。

次はスポーツについて。やはりドミニカ共和国といえば野球ですよね。

実はドミニカ共和国、現在メジャーリーグでプレーをしている選手のうちアメリカに次いで、2番目に多くの選手を輩出しているのです。その理由として全世界の中で唯一メジャーリーグ30球団全てのアカデミーと呼ばれる施設が存在しています。また、日本球界では広島東洋カープが唯一アカデミーを設置しています。

私達は2つのアカデミーを訪れ、選手育成のための話を伺ってきました。その2つとは「ロサンゼルス・ドジャースアカデミー」と「カープアカデミー」です。

この話については後日詳しく紹介したいため、ここではあまり深くは紹介しません。

ドミニカ共和国は野球だけでなく女子バレーボールも非常に強豪国です。「セントロ・オリンピコ」というドミニカ共和国最大のスポーツ複合施設。各種目のナショナルチーム、所謂ドミニカ共和国代表が練習を行う施設を訪れた際、偶然ながら女子バレーボール代表の練習前に遭遇しました。

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この時このようなお話を聞きました。

2011年ワールドカップバレーボール


2011年日本で開催されたワールドカップバレーボールは、このドミニカ共和国が非常に重要な役割を果たしました。

この年の3月11日に発生した東日本大震災の影響により今大会へ参加予定だった国が次々と辞退を考えていたそうです。もしかすると開催が危ぶまれる中、当時ドミニカ共和国スポーツ省の大臣であった方が「バレーボールというスポーツによって日本を少しで勇気づける為に参加してくれ」という旨を出場予定国全てへ通達したそうです。

世界屈指の強豪国のトップの行動により結果的には、辞退を考えていた国も全て参加しました。

日本とドミニカ共和国、非常に離れた国ですがスポーツを通じて繋がることが出来た。これは非常に素晴らしいと感じました。私達もこうした活動を通じて、多くの人と繋がり合うことによって学ぶものがありました。

私がこのnoteを書くことにより、一人でも多くの方にドミニカ共和国への関心を持って頂ければ幸いです。

いかがでしたでしょうか?私なりにドミニカ共和国について簡単に紹介させて頂きました。

次回は私達が実際に現地でどのような活動をしたのか、どのような生活を送っていたのかを紹介したいと思います。



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