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Talk1 荒井慶悟さん「調整者の視点」イベントレポート/スタディーグループinみなとまちトークイベント

私たちは“まちづくりってどんなん?!実戦で学ぶまちの楽しみ方”をキャッチコピーに名古屋市港区にて「スタディーグループinみなとまち」という、実践しながらまちづくりを学ぶための場を開いています。

それぞれのテーマを深掘りしていく中で、今回は他のエリアで実際に活躍される荒井慶悟さんと、飯田圭さんの2名をトークゲストに迎え、それぞれの活動内容や街への関わり方、その視点を伺いました。

この記事では、荒井慶悟さんによるトーク「調整者の視点」についてまとめたものです。

荒井慶悟/ワークショップデザイナー
1983年生まれ、名古屋市在中。山梨県富士吉田生まれ。大学を卒業後、地元の市役所に一般職として勤務する傍ら、中間支援団体を立ち上げ、事務局長を兼任。 2017年、退職。スウェーデンへ留学し「持続可能な社会のための戦略的なリーダーシップ」を学ぶ修士課程を卒業。 バックパッカーを経て、鹿児島に引っ越し。SDGs、地方創生に関わる新規プロジェクトの立ち上げ、現在にいたる。

Talk2 飯田圭さんによる「企画者の視点」はこちら

そもそもまちづくりとは

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まちづくりという言葉は都市計画の文脈から始まり、現代では、様々な文脈で使われることが多くなりました。なので、まちづくりという文脈を使うときは注意が必要です。今回の荒井さんの登壇会では、“まちづくり”という言葉をあえて自由に使いお話ししていただきます。

今回の登壇者である荒井さんが冒頭に、参加者に質問したこと、それは、「個人個人が思うまちづくり」でした。講演会に参加している参加者からはこんな声が、

・まちづくりは人との関係性を形成する人づくりである!
・町の問題解決、より良い発展
・町をよくしていきたい!変えていきたい!(答えはまだ出ていない。。。)

なるほど、参加者にはまちづくりってイマイチつかめていない様子。。

荒井さんがここで一言。
「まちづくりって野球みたいなものだよ!」
一同は困惑している様子でした。

荒井「わかりづらかったですね(笑)では、少し深掘りして説明します。」

荒井「野球場には様々な人がいます。例えば、野球選手、審判、野球場の芝を整える人、始球式をする人、熱血的なサポーター、はたまた野球チームに投資をする投資家。こんな風に野球っていうのは、様々な人が絡み合って成立しています。これってまちづくりにも置き換えることが出来るんじゃないかって僕は思っていて、町には例えば、町で商売をする人、町にかかわる行政、町をきれいにする掃除をしてくれる人、町に観光に来た人、自分の町が大好きな人、町の発展にのために投資をする人。こうやって見ると野球にかかわる人と、町にかかわる人って似ていませんか?」

一同「確かに。」

荒井「つまり結論を言うと、まちづくりっていうのはだれもがすることが出来るんですよ。まちづくりにかかわりたい人って様々でただお店を開いて町を活性化させるとか、町でイベントを行って活性化させるとか、そんな大きなことだけではなく、些細なこともまちづくりになりえて、だれもがまちづくりにかかわることが出来るんです。こういった点で、僕は、まちづくりは野球とおんなじじゃないか、そう考えています。」

荒井さんにとってもまちづくりとは、人それぞれ千差万別であるということ。また、その人が意識していなくても、実はまちづくりになっていること、でした。

なるほど、野球と同じという視点から、まちづくりは、視点を変えればどんなこともまちづくりになりえて、些細なこともまちづくりになりうる、と。

東日本大震災による心の変化


荒井さんは今まで町のプレイヤーとして、行政職員として、町の調整者として、まちづくりにかかわってきました。しかしなぜ、荒井さんはここまでまちづくりにかかわるようになったのでしょうか。その背景には、東日本大震災がありました。

荒井「僕はまちづくりに対して最初あまり深い思い入れはなかったと思います。しかし、なぜ今まちづくりに対して積極的になっているのか。それは東日本大震災にあります。東日本大震災が2011年にあったじゃないですか。その時に被災した地域に住む人に出会いました。そして、自分の住む地元をもっと愛そう、そう思いました。」

一同「震災への思いからまちづくりにかかわるようになったんですか?」

荒井「震災で、家族も、仕事も、友達も、何もかも流されてしまった人に出会い、その人が地元にはもう戻りたくない、そういったんです。その言葉が私に痛烈に刺さって、自分が地元に戻りたくないという気持ちを考えた時に、その気持ちは何とも悲しいと思いました。だから私は地元に愛を持とう、そう思ったんです。」


荒井さんは東日本大震災を通して、自分の地元に対して愛を持つ必要性に気が付いたんですね。

なるほど、様々な活動を通して、荒井さんは今までに町のプレイヤー、行政、オーガナイザーとして、まちづくりに密にかかわってきたことが分かりました。
その中でも、今回のテーマは調整者の視点ということで、町の調整者とは何かについてお話を伺いました。


町の調整者とは町の中ファシリテーターである

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荒井「町の調整者はずばり、町の中のファシリテーターである!」

荒井「行政や市役所の仕事を通して、私は町の調整者として、まちづくりにかかわってきました。その中で町の調整者とは、町の中のファシリテーターである。そう思うんです。私が調整者として今まで常に意識していたことは、①視点をたくさん持つこと②メタに把握すること、この二つです。先ほども申し上げた通り、誰もがまちづくりにかかわることができ、様々な立場でまちづくりをすることが出来る。だからこそ、物事を俯瞰してどんなプレイヤーがいて、どんな人が町にかかわっていて、そこにすむひとは何を求めていて、自分は何がワクワクして…、このように視点をたくさん持ち、メタに把握することが町の調整者として必要なことである思います。」


荒井慶悟さんからの示唆

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まちづくりは野球のようなものである、これからわかる通り、私たちがまちづくりにかかわることは案外容易で、私たちが意識していないことでも、実はまちづくりにつながっていることが分かっていただけたと思います。公園の中で荒井慶悟さんから、まちづくりを考えるうえでのこんな示唆が…。
・自分が地域を盛り上げたいと思ったきっかけはなんなのか。
・あなたにとっての地域の意味は何ですか。
・あなたの身近に困っている人はいますか。
・誰が喜んでくれたらうれしいですか?

荒井慶悟さんのお話を聞いて

遅ればせながら、今回、記事を書かせていただいた常峰です!私は現在大学生で、4月からオーストラリアに留学に行きます!

今回荒井さんの講演会「調整者の視点」を聴いて私が感じたこと、それは、まちづくりの可能性の広がりです。最初、私がまちづくりと聞いて何もイメージが出来なかったころ、漠然とした街を盛り上げる活動だろうと思っていたころ、どのようにまちにかかわっていけばいいか、わかりませんでした。しかし、荒井さんのお話を聞いた後、誰もが自由にまちにかかわってもいいんだ、そう思いました。意図してまちづくりをするのではなく、自分がワクワクするから、人のためになるから、そういった自発的な気持ちに自分が気づき、町の一部になってく、それがまちづくりなのではないだろうか、今の私はそう思っています。今回の講演会を糧に、私はワクワクとか、落ち着きとか、戻ってきたくなるような町を見てみたいなと、そう思いました。

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