見出し画像

B.E.夏号 「編集後記」

新自由主義はそこかしこで批判されているので、今更わたしが批判してもなんですが、常に成長、規模を大きくしようと努め、大金を稼ごうとする、そんな世の中はここ数十年に起きた短期的なトレンドにすぎません。しかし、そんな世の中では、長時間タフに働き続けることができる人、欲に駆動されて、より大きく、より多く、より早く、より遠くまで行くことができる人だけが賞賛されてきました。そのような世界では取り残されてしまう人たちがいるということに、目を向けたい。彼ら彼女らが、取り残されてしまうのは決して「自己責任」だけで片付けられてよいものではありません。

夏号では「こころ」をテーマにお送りしました。取り上げたテーマの多くは疾病であり、疾病として認識されることで社会から受け入れられてきました。逆にいえば、疾病でないと受け入れてもらえないということです。かくいうわたしも、「うつ状態」という診断があったからこそ、休職することを許されたのです。いったい、誰に許されたのか。それは分かりません。上司でしょうか、取引先でしょうか、社会でしょうか。どうして自分では選択できなかったのか。辛いから休みたいと言うことができなかったのか。むかし、学校を休みたいときも「風邪をひいた」などの理由がないと休めないことがありましたよね。「学校に行きたくないから休みたい」といえば、親から「どうして?」と問われたことでしょう。そこで、「行きたくないなら行かなくて良い」それも投げやりな態度ではなく、積極的な姿勢として子どもに言うことができたら、どれだけいいだろう。そのとき、親は我が子が一般的なレールから外れてしまうことを恐るかもしれない。『リエゾン』で「普通ではないことを受け入れるのはとても辛いことだ」()という就職活動をする男の子がいました。普通ではないことが怖いことになってしまったのは、いつ頃からなのでしょうか。なにが普通で、なにが普通でないのか、考えることを放棄してしまったのではないでしょうか。

「こころ」について語るとき、それは自分自身のことを晒け出して書かざるをえません。「仕事が辛い」「学校が辛い」「生きているのが辛い」、そういった人が多いことは誰もが知るところだと思います。しかし、そうした人たちに対して「みんな辛いんだ」「そんなのは甘えだ」「生きていくには働かないといけないんだ」と答えてしまう人が多いことも知っています。果たして、それで良いのでしょうか。本誌が問いかけたいのは、そのことです。

わたしたちは、十分に頑張っています。

もう昭和や平成の時代に語られたような、人生のロールモデルは存在しない、そう口にする人は多い。多いけれど、その割には多くの人が同じような生き方をしていないだろうか。それは、これまでのモデルにすがっているだけなのか。いま、子どもたちをはじめとして、世の中に息苦しさを抱える人たちが向き合うのは、世の中の不条理でも、無理解でもなく、ずっと亡霊のようにこの日本に居座る過去のモデルだと思う。いつまでもすがっていたいなら、大事に抱えていたいなら、そうしたい人は勝手にそうしていればいい。けれど、その犠牲になるような人たちがいることを見過ごしてはならないし、放置しておいていいはずもない。誰も手を差し伸べないのなら、わたしがその役割を担いたい。出来ることは少ないし小さい。いつまでも蝶の羽ばたきほどのものかもしれないが、そうやって抗うしかないのであれば、そうしよう。

この世で、苦しみや、悲しみと闘う多くの人たちに敬意を評したいと思います。

ここから先は

0字

春号の購入、誠にありがとうございました。最新夏号では「こころの問題」をテーマに、『こころのナース夜野さん(小学館)』『リエゾンーこどものこ…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?