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広告批評を読む #4

今回は前回に引き続き、月刊広告批評(126号)を取り上げます。
前回記事はこちら

月刊広告批評126号より引用

126号では、1990年3月当時の話題のCM。「メディアを逆手にとりたい」という見出しのもと、ホンダタクトのCMが取り上げられていました。

途中で間違いが起きるというホンダタクトのコマーシャルのもともとの企画は、電通のプランナーの方が作られました。”最初に商品が間違った動作をして、その後で、間違いを訂正する”という主旨の簡単な絵コンテを見せられて・・・省略

月刊広告批評126号より引用

何気なく上記の文章を引用しましたが、これから紹介するCMは現代のテレビでは不可能なCMなのです。我々広告の制作者はCMの企画を考えた後、それを放送してくれるテレビ局に対して「このCMは流しても大丈夫?」と考査(この場合は素材考査)を依頼します。その際「この文言を追加してくれたらOKですよ」とか「これでは放送できません」とか言われたりします。

考査基準には例えば以下のようなものが挙げられますが、法律に則っていたり、放送局側の自主規制など様々なものがあり、視聴者に不利益を与えないというのが根底にある考え方です。世相も大いに反映されるポイントでもあります。

  • 身障者やジェンダーについて差別的表現があるもの

  • 虚偽、誇大表現

  • 根拠のない最大級表現

  • 大音量、サブリミナル、パカパカ、モザイクなどの使用

  • 医薬品や医薬部外品などで薬事法や健康増進法に違反するおそれのあるもの

  • 視聴者にとって不快なもの

まずこのCMを見ていただいた方が早いかもしれませんね。

どの点が考査に引っかかるか?
ザーっという砂嵐部分は、視聴者に「あれ?テレビ壊れたかな」と思わせてしまうこともあるのでNG。実は、同じCMを立て続けに放送することも禁止なのです(二段積み)。「あれ壊れたかな?」と視聴者に思わせる可能性があることも去ることながら、先に紹介した考査基準の「サブリミナル」を意識してのこともあるようです。

1990年当時は許容されていたCMも、法律や世相の変化で考査基準が厳しくなることで企画が通らないなんてことはザラにあることです。ですので、「法律には抵触しないけれどこれはどうなんだ?」という場合はCM制作者と放送局側の微妙なせめぎ合いがここで生じてくるので過去に放送されたCMというのは積み重ねられた戦いの歴史でもあるわけです。

むかしは良かった、なんて台詞を耳にすることもありますが自由が制限されることで生まれた素晴らしいアイデアがこれ以降もどんどん生まれているので、規制を一概に悪いものと決めつけるのもどうかってことですよね。


目のつけどころがシャープでしょ

月刊広告批評126号より引用

誰もが知ってる(と思う)このコピーが採用される前のシャープの話。シャープも色々ありましたよねぇ。それでもむかしから、商品企画は頑張っていた時期がありました。

近頃のシャープは、やたら頑張ってる。もともと商品企画の面白さとユニークさではなかなかスルドイものがある企業なのに、それを知らせる広告がいまひとつだった。

月刊広告批評126号より引用

使用後をダイレクトに描くのではなく、敢えて使用前の不便な、そして滑稽な状態を描く。見る側に、使用後のイメージを託すその洒落た感じだいいな。そして、忖度なく「広告がいまひとつだった」と言えるのっていいなぁ。


選挙広告

月刊広告批評126号より引用

今でも衆院選や参院選などの選挙があるときには政党のCMが流れることがあるが、その広告を批評しているのはあまり見たことが無い。むかしは、こうして誌面で各政党の広告を取り上げていたのだなと隔世の感。まさか当時の記事を読んでいても「結果は自民党の大勝になった」という言葉を目にすることになるとは思わなんだ。相変わらず、変わってないみたい。

"カルビーvs.湖池屋"戦争

月刊広告批評126号より引用

Twitterではマクドナルドとバーガーキングが広告でバチバチやり合うのが日本でも話題になったけど、そもそも日本でもカルビーと湖池屋がCMでやり合っていたのです。

どうやら湖池屋の戦法は、一発アイデアと商品名連呼のようだ。

月刊広告批評126号より引用

ここまで言い切られると恥ずかしい。「スコーン」は2022年に当時のCMをリメイクした新CMが放映されて話題になってましたな。

これに対してカルビーは、どちらかと言えばひねり技が目立つ。オチのない不完全燃焼型のストーリー仕立て、その上、ターゲットの年齢層が少し上なのか、内容もちょっとシブめである。

月刊広告批評126号より引用

どれも見たことあるやつ!と懐かしい感じ。この奥さんの描かれ方が、この家の中でのポジションを連想させるし、家の中も消費の主役も当時から女性だったのではと思わせる広告。

次回は、月刊広告批評(127号)を取り上げます。

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