広告批評を読む (#7)
今回も前回に続いて月刊広告批評(第129号)を取り上げます。前回記事はこちら
西武百貨店が提示した贅沢
スクール水着をまとった少女。このビジュアルだけで炎上しそうだと思ってしまう私は現代病に違いない。しかし、私が語りたいのはそんなことではなく、このコピーが提示する価値観についてだ。
立ち止まれない社会
あなたは、最近いつぼんやりしましたか?
泳ぎを止めると酸欠で死んでしまうと言われるマグロ。現代の私たちも変化の早すぎる社会で立ち止まったら時代に置いていかれてしまうのでは、そして置いていかれたら「それは自己責任」と言われて誰も手を差し伸べてくれない恐怖を感じて、どんなに疲れていても走り続けてしまう。そんな、マグロみたいな生き方をしていませんでしょうか。
そもそも走り続けられるタフネスが重要なんて言う人が多いし、しかもそんな人に限って社会的に声が大きい人たちだからとても厄介。それにみんな勉強熱心だから経済学の考え方が日常にもジワジワと浸透してきて、"コスパ"や"タイパ"なんて言い始めるし、"機会費用"という考え方もお馴染みになっていませんか。あぁ、こうやってダラダラとしている時間をアルバイトに費やしていたら◯◯円稼げていたなぁなんて。ある意味、このダラダラを◯◯円で買ったとも言えるのだけど、そんなことまで考えてたら心もカラダも休めることなんてできません。
この文章が書かれた頃から、日本人はうまく余暇を過ごすことができていないわけだが、きっといつまで経っても私たちは「なんにもしないをする」なんて高度なことは難しいのかもしれませんね。
もうついて来んなよ。
批評ってこういうことを言うんだろうなとお手本のような文章。
街の風景をどれも同じものにしてしまう元凶って、コンビニや量販店、レストランチェーンだと思う。関東近郊、そして東北や関西などに行っても、ロードサイドの風景ってどこも変わらない街並み。自分が今どこにいるのかを風景から察知するのってとっても難しいですよ。いつでもどこでもと言う便利さを享受している身で文句をいうのもなんだけど、どこ行っても同じ顔をしてる街並みってコワイですよね。
原子力発電啓蒙CM
電力会社の案件って、広告会社では大変重宝されるものでした。彼らは大きな予算を持っているので(それは税金なんだけどさ)、案件1つ獲得できるだけで会社あるいは部局が凄く潤うのです。そして、発電所建設を誘致することで地方自治体の財政も潤うなんて夢のような時代もありましたね。さて、そんな時代のお話です。
北海道電力(暮らしのすみずみに今日も原子力)
関西電力(原子力が電気のベースを支えます)
当時から原発反対派の人たちは活動をしていたが、彼らを黙らせるようにテレビCMの出稿量は増加していったようだ。特に、地方にテレビ・ラジオの新しい局が開局すると、スポットCM集中的に流される(月刊広告批評 第129号)。わたしたち、後世の人間からすると”その結果”を知っているから、こんなCM見せられても戸惑いしかないし、納得もいかないだろう。(ちなみにチェルノブイリ事故が起きたのは1986年)
規制緩和の嵐
ちなみにだが、テレビCMを出稿できない業態というのはそれなりに存在していた。上記の記事で紹介されている金融機関もそうであったし(1991年解禁)、パチンコ業界、結婚相談所など結婚情報サービスを提供するような業態も以前はテレビCMへの出稿ができなかったのだが2014年に解禁された。解禁といっても、法律で規制されていたわけではなくて、日本民間放送連盟(民放連)が自主的に取り決めをしているものである。次は何が解禁されることやら。。。
次回は月刊広告批評 第130号を取り上げます。
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