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わたしがわたしだと思っているわたしは、わたしではない

こんなことを小学生の頃、思っていました。

よくお腹が痛くなっていたので、
夜にトイレに籠ることが多く、
そこでいろんなコトを感じていました。

お腹は痛いのに、
痛い、と思ってるココ(意識)は
痛くない、とか。

わたしだと思ってるコレ(意識)は
カラダのどこにあるのか、とか。

なぜ、生まれてきたのだろうか
とか。

子どもの頃に感じていたことって、
原点だなと思います。


先月の中秋の名月の日、
バルコニーのある、
バイオダイナミクスオステオパシーの先生のご自宅で、セッションを受けました。


バルコニーのめだかさんたち

セッションの前に先生といろんな話をしました。
 

コロナになったこと
治療を受けることとなったキッカケ
子どものこと
バイオダイナミクスの世界観のこと
2年前のわたしと今のわたしのこと


いろんな話をしたあと

どこまでも、
自分を受容してあげてください、
と言われました。

やってみると、
すぐに否定しているのです。
自分のこと。

そんな否定している自分も受容していく。

どこまでもどこまでも受容していく。
どこまでも…

セッションから目覚めたとき、

わたしは、
なんでもなくてもいいんだ。

と思って目を覚ましました。

なんでもない自分…
なんにもないわたし。

けれどもそれは、
自分から何もなくなってしまったような、
心許ない感じもありました。


セッションから3日たち、
徒歩で通勤中ふいに、
あるフードスタイリストさんの話が浮かびました。

仕事や普段使いのお気に入りの器たちが、地震でたくさん割れてしまった時、
なぜか清々しかった…という話。

続いて
目が覚めるかのように、浮かんできました。


星座や血液型や志向、
小さな頃から受けた教育。
人から言われたわたしのこと。

あなたはこうだよ、と決められたものは、
あくまで『決められたもの』

それはわたしじゃない。


では、決められたものたちが、
わたしからなくなったら
わたしはいったい何なのか。


大事だと思っていた、
お気に入りのお皿が割れてしまった。


自分を構成していた思いこみや刷りこみが、
それはわたしではないと気付いた時。

わたしがわたしだと思っていたわたしは、
わたしではない。


生まれてから今まで
作り上げてきたわたしが
割れて
消えて
なくなっていきました。


そうしたらすごく軽やかになって、
カラダが広がるような感じがしました。


セッションの時、
薄い幾重ものわたしが、
剥がれては消えていったそうです。

そしてそこに残っていたのは
たぶん、なんでもない、わたし。


わたしがなんなのか
わからない。


『わからないことは幸せなことです。』

バイオの先生はそう言っていました。


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