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テレビマンガからアニメへ、「宇宙戦艦ヤマト」とあの本の登場/おたくGさんの覚書:アニメ編その3

 アニメはアニメーションの略語で、何を指してアニメというのか、今では誰もが知っている。
 だが、1970年代の終わり頃まではアニメという言葉は無く(もちろん英語としてアニメーションは存在している)、テレビマンガもしくはただのマンガと言われていたことは以前にも記した。ではいつ頃からだろうと回顧してみると、やはり「宇宙戦艦ヤマト」が放送されてからしばらくたってのことだと思う。時間差があるのは、初回リアルタイムで放映された際にはまったく人気がなかったからだ。裏番組が「アルプスの少女ハイジ」、「猿の軍団」だったこともあるが、低視聴率にあえぎ、緻密な作画のため過酷な制作とコストオーバーもあって、39話が26話の構成に変更された。もとは52話だったようだが。まあ、いわゆる打ち切りだ。だがSFファンには人気があり高い評価を得ていた。またヤマトフリークもリアルタイムの放映時点で存在している。私もその一人だったといえよう。
 中学1年生(1974年)の10月6日の日曜日7時30分、裏番組に興味もあったが、戦艦が飛ぶという奇想天外な発想と、何と言っても「宇宙戦艦ヤマト」というタイトルに惹かれ第一話を鑑賞する。まさに衝撃だった。その繊細な作画とストーリー、そしてSF的ガジェットの詳細な設定。これは今までのテレビマンガとは違う、超越した世界だった。第二話でヤマトが始動し、ワープ・波動砲のテストと回を重ねるごとに内容の密度が増していく中、七色星団の決戦の頃には完全にフリーク化し、ヤマトなしでは生きられない気分だった。大げさではなく。7話の冥王星の戦いで、反射衛星砲によりヤマトが海に沈んだ(冥王星に海があるのかどうかは敢えて詮索しない)時は、「もう地球は終わった」と思ったものだ。
 最終回は放射能除去装置コスモクリーナーDを期限まで地球に持ち帰り、青い地球に戻っていく大団円なのだが、終わってから今風で言えばヤマトロスは相当なものだった。
 半年間充実した日曜の夜だったが、月曜日にその喜び、そしてヤマトを話題に語れる友人はいなかった。ほとんどが、いや私以外は「猿の軍団」を視聴していてそれを話題にしていたからだ。こんなすごい作品がただのテレビマンガとして埋もれてしまうのか。こんなすごい作品を観たのに、誰とも語り合えないというのが鬱々とした気分にさせたのだ。
 しかし、翌々年火が付く。それもとんでもない大火となる。
 翌年9月より札幌テレビ、翌々年1月から日本テレビ、そして全国各地の局で再放送が始まる。ビデオはまだ普及していない頃だったので、もちろん私も新たな発見と感動に浸るため、再放送を観るためテレビの前に鎮座した。するとどうだ、再放送が始まって間もなく、学校を始めいたる所でヤマトが話題となっているではないか。「内容が濃い」「発想がすごい」「絵が細かい」「今までのテレビマンガと違う」などなど。リアルタイムで観ていた私にとっては何を今さらという感じではあったが、何か誇らしい気分でもあった。おそらく時間帯もあるが、コアとなる中高生から青年層まで、幅広い層に認知されたことで再評価が成され、視聴率も20%超え、ヤマトは大ブームとなりつつあった。やがて翌1977年再編集版の映画公開を機に、ヤマトは社会現象ともなる人気を得るに至り、ここにきて子供向けテレビマンガから大人も楽しめるものへ、もはやテレビマンガではない領域への昇格。すなわちアニメーションという言葉が、このころ頃からささやかれ始める。そして、翌1978年続編となる新作映画「さらば宇宙戦艦ヤマトー愛の戦士たちー」の公開で社会現象はピークを迎えると共に、この映画を表紙にした日本初のアニメ雑誌「アニメージュ」の創刊をもって、アニメーション、略称アニメは周知され、社会に浸透したのだ。もちろん要因はこれだけではないと思う。アニメにとって1978年と1979年はターニングポイントであり、奇跡とも言われている。何故なら、1978年には宮崎駿初監督「未来少年コナン」の放送が始まり、「ルパン三世カリオストロの城」が封切られ、1979年には富野由悠季監督「機動戦士ガンダム」が放映開始される。この二人の監督に「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明が関わっているのも興味深い。そして、この3人の他にも押井守をはじめ俊逸したクリエイターが多く現れたのもこの時なのだ。
 「宇宙戦艦ヤマト」の成功は、単にヤマトブームを起こしただけではなく、その後のアニメ史上と市場に多大なる影響を及ぼすことになる。コミケの拡大、声優ブーム、メディアミックス、クリエイターへのスポット、コスプレ等、やがてアニメは日本文化の一つに位置づけられるようになった。思えばすごい作品だった。今ほど情報収集、伝達方法がない中、日本中を席巻したのだから。
 そう言えば、ヤマトに夢中になっていたのは自分だけのようなことを書いたが、けっこう父親も母親も一緒になって観ていたな。やはり大人にも観れるテレビマンガ、いやアニメだったのだろう。

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