『ジョジョ5部』ーーなぜペッシの死に様は偉大と言えないのか?

 ようやく感性がプロシュート兄貴の良さを理解するまでに育ってきた感じがする。5部のプロシュートは『ジョジョ』の中でも人気のキャラクターだけれど、個人的にはインターネット上での熱狂的な持ち上げ方には中々馴染めなかった。集団がそこに発生させた無意味性の熱量を摂取しているだけのような感じがしていたから。
 それが先日のアニメ放送から受けた印象は、驚くほどに変わっていたのだ。テンポや音や声優さんの演技の影響力も勿論あったのだろうが、それだけではない、感性の成熟を感じ取って嬉しかった。

 『ジョジョ』5部のテーマは、未来に向け道を切り開いていく人間の気高い意思であろう。さらに言えば、今後出てくるジョルノのセリフのこともあって、作中での「意思」は「覚悟」とニアリーイコールだといえる。
 そしてプロシュート戦とはつまり覚悟合戦なのだ。どちらの覚悟が上かを試すための戦いであり、覚悟こそが勝敗を決めるシステムだ。スタンドバトルの形を取りながらも、構造それ自体はある種呪術的なバトルといえる。そもそもスタンドは精神の力だという設定なのだけど、純粋なる精神の戦いの真髄がこのバトルなんだ。

 プロシュート兄貴はネット人気の割に案外あっさりとやられてしまうのだけれども、そのカリスマブランディングされた気高き精神性はやはりワルの兄貴に相応しい。
 たとえば遠隔操作のデバフで削っていく能力なら離れて戦うのが定石のところ、自らを老化させてミスタに近づき不意打ちとはいえ近接戦を仕掛けていく度胸と決断力。限られた情報から「亀」の真実に迫った頭の回転の速さ。あるいは一見頼りない舎弟のペッシの秘めた実力をリスペクトする謙虚さ。そのポテンシャルを強く信じて終始励まし続け、自ら率先してあるべき姿を見せつける指導者としての器。どれをとっても格好いい。
 自信がなくひたすら謙遜しているペッシの所見を信じ、運転席にトリッシュが潜んでいると断言する姿には思わず惚れてしまう。プロシュートはペッシの実力を誰よりも信じていたし、それを行動で示していた。だからこそ、特急から地面に突き落とされようとも車輪に食らいついてザ・グレイトフル・デッドを発動し続けたのである。そこにシビれるッ! 憧れるッ!!

 兄貴の思いを理解したペッシもついに吹っ切れて成長し覚醒する。ブチャラティに気高いと言わしめるほどに。ここからは覚悟を受け継いだペッシとブチャラティとの覚悟合戦だ。こうなるともうスタンドは話のきっかけにすぎない。メンタルの揺さぶり合い、プレッシャーの掛け合いを制したものが勝つ。そういう展開になった。
 ペッシは能力では優位に立つも、すんでのところで恐怖感を拭えずブチャラティの捜索を諦めてしまった。あと少しの間、自らの能力を信じ、不安を耐え忍べば彼らは勝っていた。兄貴はもう助からないと自分で言ったのに、任務を優先せず助けに行ってしまった。兄貴が身をもって覚悟を教え込んだのにそれを守らなかった。優しさと言うよりも、心の弱さで兄貴の教えを破ってしまった。その心の弱さがブチャラティに勝機を与える構成である。

 覚悟が道を切り開くという5部のテーマがブチャラティによって語られるが、一皮むけたペッシはすぐにメンタルをリカバーして絶対的な自信をもってブチャラティの心臓めがけて攻撃していく。しかし心臓狙いの一振りすらもブチャラティの覚悟を崩すことは出来ず、ペッシは近距離パワー型の高速動作によって瞬時に自らの糸で首をしめられ敗北した。ブチャラティは常に相手の精神の上を行ったが、次々と捨て身を覚悟を迫るだけの凄みがプロシュートとペッシにはあったのだ。ブチャラティにとって彼らは感服せざるを得ない好敵手だったはずだ。

 しかしまだ息のあるペッシはトリッシュを亀から出すと、残ったジョルノらを亀ごと打ち砕き、ブチャラティに絶望を与えてやると宣言してしまう。宣言して石めがけて倒れ込んでいく。恍惚の高笑いをしながら倒れ込んでいく。
 ブチャラティはスティッキー・フィンガーズで腕を飛ばしてこれ阻止すると、空中のペッシを連打でバラバラにしてかなり辛辣な軽蔑の言葉を浴びせた。これは一見すると不可解である。
 暗殺者チームの任務遂行に当たって、最後の力でジョルノ達の乗る亀を道連れにすることは理にかなっている。ペッシは目的に忠実で、ボロボロになりながらも列車にしがみついてスタンドを発動し続けたプロシュートの教えのとおりに行動していると言える。敵対者とはいえ人間の誇りに重きを置くブチャラティにそこまで侮辱されるのは何故なのだろう。任務の遂行には与するのに、そこまで下衆扱いされるような行動なのだろうか。

 それは「宣言してしまったこと」だ。あるいは「勝ち誇ってしまったこと」。つまりは、「自分の精神が目的に優越してしまったこと」。考えた時には行動を終えているものだと言われたのに、黙って砕きにいかず反撃の余地を与えてしまった。真にチームの目的に忠実ならば、「勝ち誇る」という選択肢はなかったはずなのだ。黙って目的に忠実であるべきだったのだ。それが兄貴の教えだったのに。それがペッシの受け継いだ美学だったはずなのに。

 ブチャラティがあれだけペッシを卑下したのは亀を道連れにしようとしたからじゃない。プロシュート・ペッシの覚悟に、立場は違えど同じ人間として畏敬の念を抱いていたからこそ、最後の行動は残念でならなかったのだ。何故なら、人間の精神の美しい在り方こそが、『ジョジョ』という作品が一貫して志向している価値だからである。

コミュニケーションと普通の人間について知りたい。それはそうと温帯低気圧は海上に逸れました。よかったですね。