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カミュ『ペスト』半世紀後も感染症に対する人類の振る舞いは変わらない

新型コロナウイルスの感染拡大に伴って話題を呼んでいたカミュの『ペスト』を今さらながらに読んだ。数か月かかって、やっと読み終わった。

というのも、宮崎嶺雄訳だからどうかは不明だが、わりと純文学的表現が多く、国語のテストを受けながら読んでいる気分になった……。
「この表現は何を意味していますか?」
「このときの人々の心情はどうなっていますか?」
と、問題に出せるくらい、抽象的かつ比喩的な表現が多く、頭を空っぽにして読める本ではなかったからだ。

しかし、だからこそ価値のある一冊だとも思う。心情という抽象的な概念を、抽象的な言葉を使って具現化させることは至難の業である。

さて、『ペスト』は文字通り架空の街・オランで巻き起こったペストの流行を描いた作品である。ペストとは、つまり感染症だ。

ペストの発生当時、政府や人々はそこまで大きな関心を寄せていなかったが、だんだんとペストが猛威を振るうにしたがってペストの恐怖に怯えるようになる。ペスト感染者は隔離され、そして街までも全面的に封鎖される。しかし、そうした抑圧された日々の中で、カフェなどに集う人、壁を越えて街の外へ出ようとする人が出てくる。

はて、これは新型コロナウイルス感染症が蔓延した現代と同じではないか。

政府の対応が後手後手に回り、最初はすっかり怯え切っていた人々も、次第に抑圧された生活に嫌気がさし、以前のように県境を越えて移動する。

『ペスト』の初版が発行されたのは戦後から2年後の1947年だが、そこから74年が経ち、世紀が変わった2021年においても、感染症に対する人類の対応は何ら変わっていない。いや、進歩していないと言うべきか。

『ペスト』は戦時下における出来事の隠喩だと言われているが、つくづく我々人類は歴史を繰り返しているのだと思う。戦争はなくなっていない。差別もなくなっていない。未知の感染症に対応できていない。

本書の中でペストはある日を境に終息へと向かう。果たして、新型コロナウイルスも同じように自然と収まることはあるのだろうか。

『ペスト』の登場人物は、さまざまな事情を抱えてペストに対抗する。
ドキュメンタリーのていを成す本書を通して私たちが学べることは、文学表現以外の部分にもある。

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