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『断片的なものの社会学』〜名前のないものに名前をつける作業のような〜

文章を抜き書きしまくった。ただただ書いた。
普段はしないことだ。めんどくさがりなので。

この本を読んでずきんと響いた言葉、文章を抜き書きすることは、快感に近かった。気持ちよくて楽しかったし、もっと書きたい、なんなら本1冊抜き書きできるんじゃないかくらい。

『断片的なものの社会学』岸政彦著

付箋だらけになってしまった。

作者の岸政彦氏は、関西の有名大学の社会学部教授だ。
社会学の調査としての取材で、人の語りを聞くことは「誰かの人生に入っていくことだ」と表紙にも記されていて、取材を通して得た断片的なことが詳らかに記されている。

取材を通して「誰かの人生に入っていくこと」という言葉がストンと自分の中に落ちた。私も一応ライターとして長く活動してきたので、この実感、わかる!!となった。

読み初めから衝撃の連続。

断片的な出会い、断片的な人生の記録。
そのまま全体的にすることは暴力だ。
「断片的なものの社会学」の一節を要約

そんなことを実感しながらも、岸氏が記していることに、大きく頷くことばかりだったしびっくりした。

正直なところ・・・。
描かれているエピソードや想いの数々について、これって文章にしてもよかったことなんだ…みたいな、悔しさがあった。

人は見たもの、食べたもの、感じたことを文章にする。SNS・メールの文化が浸透してからは、なおさらその傾向が強くなった。いいことだと思う。文章での表現は世の中に溢れかえっている。

それでも、ある出来事の根拠となることや、感情の裏側まで書かれていることってあまりないと思う。

それは日本人的な「空気を読め」という文化だったり、人を傷つけないような配慮だったり、色々なことに理由がある。
(岸氏の文章が人を傷つけるという意味ではありません)

そうした、空気を読むとか、気を使うとか、そうしたことを覆し、生身すぎる感情と感性が弾け出しているところに、強く心惹かれた。

例えば本書内での「ユッカの話」

潰れてしまったガソリンスタンドで、朽ち果てていくユッカ。本来なら、乾燥にも強いはずのユッカが枯れている。どのくらい放置されていたのか。その時の流れを思うと恐ろしくなる。
「断片的なものの社会学」の一節を要約

とか。

戦争体験の「語り」。それは体験者から発せられたものが「語り」という固まりに形をかえ、語りに乗り移られて、語っているのではないか。
「断片的なものの社会学」の一節を要約

とか。

どちらも、誰もが漠然と感じてはいることだけど、文章で語っているところがすごい。小説的な描写とはまた違う。

自分の中で、断片的にふわふわ浮いていることを、文章にする、その勇気がなんともうらやましかった。

私にだってある。
例えば。。

電車にたまたま乗り合わせた知らない人がリュックにつけていたキーホルダーがなんだか面白かった。何年経っても、ふとその光景を思い出す。

みたいな。

断片的な風景なのに、自分の中では実はとても輝いていたり、印象深かったりする出来事ってある。

それってとてもたくさんあるし、何か意味があることではない。でもそこには、確かに物語がある。

うまく言えないけれど…。
私はこの感じを、名前のないものに名前をつける作業のようなものとかんじた。

正直なところ、嬉しいような悔しいような、大いなる混乱があった。
かき乱される本ってそうそうない。だから、むしろ本書に感謝したい。
誰も言葉にしなかったことを言葉にする勇気、私もしっかり持って書いていきたいと思う。

ちなみに私は、この本を、とある大学の社会学部生から聞いて知った。
「僕はこの本を読んで、社会学部を目指しました」とか「この本に書かれていることに影響された」とか。
若い世代の心を動かして、人生を変えてしまうほどの本ってなんだろう?読んでみたいと思って手にした。

私は若い世代ではないけど、十分大きな影響を受けたし、これからもきっと受け続ける。岸氏の他の本もぜひ読みたいと思う。


ありがとうございます。