見出し画像

生きるようにした理由


私は、自分がこんな目に遭っている理由を知りたくて生きている。

どうして、私はこんな事を考えて、こんなふうに選択をして、こんなふうに倒れて、
私自身の感情も過去の出来事も、
変えられない境遇も
なぜ、私がこんな目に遭っているのか、

現在を生きている私はもうすでに
環境と憎悪と自分の未熟さと、等々が絡まって、
思うように心も身体も動かないので、理由がわからない。


私は、死にたくても、
私は、死ななければ生きていける。
死ぬために行動しなければ、生きていける。


死なないだけでこの世に成立しているぬけがらの命でも、
身体だけになって、心こそ、どこかに行っても、
身体だけさえ生かしておけば心はいつか帰ってくるかもしれない。
それに何もせずとも、結局死ぬならどうにもならない理由で死ぬのだ。生きている限りは


だって、死んだあとのことは知らない。
来世があるかもしれない、極楽浄土があるのかも


でも小さい頃、双子の子猫の一匹が目の前で車に轢かれたとき、
もう片方が一度振り向いて、どこかへ去ったのを見て、死んだあとのことなんて動物には預かり知らないよなと思った。
私達は動物だ。
今目の前に見えている建物も家族も友人関係も踏切の黄色と黒も、
私が珍しい進化の方向をとった動物である"人間"だから認識できているのであって、

人間だから想像できる死後なんて、
人間だからと、
「この世の摂理の中で他の動物もいるけど、特別に人間向けの、思う通りの、感じている通りの、考えている通りの、概念を作っておきましょう」とはならないのではないかなと思う。
(もしかしたら、人間であるからこそ他の動物よりも優れた、特別なセンサーや部分で死後も死後のなにかを拾い上げられるのかもしれないが)

いずれにせよきっと、今の人間である私のまま死んだあとを過ごすことはできないのだと思う。

この身体は動かなくなるのだから、
その中に私がいなくなるのだから
それはまるで、
30分アニメの途中でプツンと
電源を切られたテレビ
つかなくなったゲーム機、
途中で連載の止まった漫画や小説

どうして止まったのか、なにが起こったのか
テレビもゲーム機も漫画や小説も何もわからないが



もう二度とその世界が白く光ることはない



だから、私という自我を持った人間であるうちに、

理不尽だと思うことは
誰かに助けてもらいたいと思うことは
なんとかならないかと思うことは
何もかもがわからないと思うことは
布団から身体が動かせないと思うことは
インターネットで調べ終わらないことは
どうしてこんな最後になるのかと思うことは



もっともっと知って知って知って

解き明かすべきことは解き明かさなければ。

22歳/冬
まだ、無知だけど精一杯使い古した私の考えを書き残します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?