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B
Bか〜、何にしようかな。
あ、
Basket ball
にしよう。
私は中学高校と6年間、
バスケットボールをしていました。
中学のバスケ。
それはもう地獄のような日々。
人生で(まだ24年しか生きてないけど)一番つらい時期だった。これは言い切れる。何度か死んだ。
朝も昼も放課後もバスケ。
ご飯はもちろん早弁です。
休みはお盆とお正月の3日ずつ。
(もっと少ない学校もあったと思う)
スポーツは1日休めば戻すのに3日かかると言われているので靭帯が切れた時も指が折れた時も1日だけ休んで練習に参加していました。ただのアホです。
ちなみに指が折れた時、完治するまで自分で毎日せっせとテーピングを巻いて3ヶ月経ったころ痛くなくなり指も変な形になってて そこでやっと折れていたことに気付きました。痛みは気づいてからが本番。自然治癒力すごいのなんのって。
私の中学はどちらかといえば弱かった。
しかし偉大なる顧問、小森先生は最終的に京都で8位以内に入るくらいまでチームを強くしたスペシャリストでした。
練習は基本的にランメニューと、一人ひとり指示された動きをこなすことで「えぇ、なんか私あいてる!ボール!え、きた!シュート!」みたいな目をつぶっても成功するようなフォーメンション練習。
天才です。
2時間ぶっ通しダッシュで仲間が倒れていくのを横目に「補給」の言葉だけを求め走り続ける日々。
その当時、学校で一番足が速かったです。
バスケは普通でした。(おい)
スリーポイントシュートが好きでした。
中学2年生の頃。
私は幼なじみと"たこやき事件"を起こします。
私の家の周辺は中学で唯一 自転車通学が許されている地域でした。要するにめっちゃ遠い。
厳しい練習のあと。
お腹が減りたおしている。
買い食いという行為が禁止されていたので朝に買っておいたパンを食べながら帰るのがルーティン。
雪印のフルーツオレとあんぱんのセットが定番。
しかしパンがない日もあります。
そこに美味しい匂いを漂わせているたこ焼き屋さんがあるのです。
お腹と背中はとうの昔にくっついている。そしておじいちゃんの微笑みという名の誘惑。手捌きがもはや美味しい。
私が食べなくて誰が食べるんだ?
「おじいちゃん!たこやきください!」
「お腹空いてるやろ、熱いしゆっくり食べや」
何も言わず当たり前のように1つ多めに入れてくれるおじいちゃん。優しさに胸を打たれ身も心もあたたまりホクホク顔で家につく。
結果。
しっかりバレました。
なんでやねん。
その次の日は朝から晩まで練習試合。
バレていることを知らない私は気合だけは充分です。よっしゃやったるで!
そんな時、顧問に呼ばれ一言。
「藍ちゃん、たこ焼き美味しかった?」
、、、あんなにも心臓がドッギュンすることあります?
ドキドキ、とか鼓動が速くなる、とかではない。ドッギュン。
そういえば怒る時は必ず ちゃん付けだった。
1日走って、次の日からも走って、バスケはできず、、そして言うまでもなく持久走は1位でした。
小森先生 元気にしてるかな。
先生、指の形がちょっと変だけど私は元気です。
中学も高校も思い出が数え切れないほどあるので今日のところは高校の写真を載せて終わります。。
引退試合。
この黒いバッシュに穴が空いて引退した日にそのままバッシュ買いに行きました。ていうかもみあげ長っ
羽生結弦と呼ばれていたストレッチ(試合中)
ナツキ(5番)が可愛いお気に入りの写真。
ではまた!
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