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気持ちを受け入れるためにペンを走らせる

昨日若い店員さんとのやり取りで疲弊した件について、今日も悶々と考えてしまった。
出来事をずっと頭の中で反芻しては、胸がもやもやとしてしまう。
こういう時には「書く」に限る。

今何を考えているのか、
昨日何を感じたのか、
怒り、不安、恐怖、どんな感情を抱いているのか。

いつものノート、いつもの万年筆で自分に集中して書いていく。
思いついたことをそのままに書き続け、始めは丁寧だった字も徐々に崩れ、殴り書きのようになってきても気にしない。
手が自然と動くがままに書き、止まるまで動かし続ける。

始めは嫌だったというネガティブな感情ばかりが出てくるのだが、やがて前向きな気持ちが自然と湧いてくる。
相手の対応に嫌な気分になり、多くは望まないながらももっと気持ちよく接して欲しいと願っていた昨日の自分。
書くことで自分の接し方はどうだったのかと振り返ることができる。
いきなり感情的になるとか、クレームを言い出したりだとか、そういう絡み方はしなかったが、もう少し明るくはきはきと話しかけてもよかったのかもしれない。
決して相手を自分の思い通りに動かしたいわけではないのに、自分が期待した反応がないからといって憤慨するのはあまりに勝手ではないだろうか。
まず変わるべきは自分であり、自分の接し方が変われば相手の反応もまた違ったものになるのかもしれない。

「自分が嫌な思いをする=相手が悪い」は成立しない。
この世は善と悪、白と黒、0か100かの二極ではないのだ。
大人なのだから歩み寄らないといけない。
今回の件、自分が幼稚だったなと反省に至り、まだまだ学ばなくてはならないことが多いと気付きを得る。

こうした出来事を文字にする際、昨日のようにキーボードで打つだけだと事実を形にするだけで終わってしまう。
今日したように手書きで文字にすると、新しい気持ちが生まれてくる。
吐き出すことと、受け入れることの違いなのだと思っている。
だから私はどんなに便利であろうとも、ペンを手放すことができない。

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大須絵里子
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