見出し画像

がむしゃらになりたい

がむしゃらってなんだろう
考えても考えても
答えをすぐに出すことができなかった


昨日のこと。
LINEで友達登録している
ダ・ヴィンチニュースから広告メッセージが届いた。
いつも既読にするだけで中身など見ないのだけど、
一番大きな見出しに
——猫たちのために家を建てた
というのがどうにも気になって
中身を見てみることにした。

著者の響介さんは作曲家で
猫を飼っていて
猫のために家を建てた
ということが読み取れた。

私は猫を飼っていないし
飼う予定もないし
マンション住まいが気に入っているため
一軒家を建てる野望もない。

そんなだから特に深く読む気もなかったのだけど、
『「音楽で食べていきたい」からじゃない。
「音楽しかできない僕は、猫たちを幸せにするための唯一の手段として、
音楽を“仕事”として、頑張らなければいけないんだ」、
そう自分に言い聞かせた。」
(略)
猫たちのために一念発起した彼は、
がむしゃらに仕事をして自堕落な生活から脱却。』
この文がどうも引っかかって仕方がない。

きっかけはなんでもいい。
動物のためでも家族のためでも
モテたいからでもいいと思う。
ただ、
——がむしゃらってなんなんだろう?
そればかりが気になってしまう。

頑張ること、
一生懸命働くこと、
真面目にこつこつと
どんな仕事でも引き受けて
着実に信頼を得ること。
耳障りのいい言葉は色々と浮かんでくるんだけど
具体的には何をやればいいのかさっぱりわからない。

私はがむしゃらになりたい。
がむしゃらに子どもと接したいし、
がむしゃらに自分の人生と向き合いたい。
でもなにをやればいいのかわからなくて
いつも下らないネット記事を見ては時間を費やしている。

もっともっとと上を見るだけ
いつかきっとと夢見るだけで、
現実では子どもは着実に成長しているのに
私自身は大して変わってはいない。
焦燥感ばかりが積もる毎日だ。


そして今朝、
堀江貴文氏の記事を見て思った。

『夢中になれる遊びに没頭』
『行動が大事』
『行動に熱中』
多動力でも見た。
とにかく『動け』って。

——あぁ、こういうことなのかもしれない
少しだけわかった気がした。
点と点とが繋がった気がした。


私は日々のルーティンタスクを
スマホアプリで管理して、
それ以外のやりたいこと、やるべきことは
バレットジャーナルというノート術をベースに
ノートで管理している。

タスクを見ては
あれこれ考えて先送りにする毎日。
管理は『手段』であるはずなのに
いつのまにか管理することが『目的』になっていた。

とりあえず今日の午後は
目の前にあるタスクを何も考えずに次々と片付けてみた。
頭も手もフル回転。
先送りタスクが片付いていくのは気持ちがいい。
自分ができる人間になったかのようだ。
でも電池が切れて午後に小一時間仮眠。

でもきっとこれでいいんだと思う。
こうして懸命に動き続けていれば
いずれ『がむしゃら』がぴたりと合ってくるかもしれない。

もうなにもしないのはお終い。
今、目の前を動こう。

よろしければサポートお願い致します。 製作の励みになります。