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82年生まれ、キム・ジヨン - 体験の共有が対話を生む、だから是非男性に読んでみてほしい本。


韓国で100万部を越えたという「女性として生きるリアル」を扱った本を読みました。
一気に読んで感想も書いてみたものの、客観的に意見を言うのが難しいトピックなため、投稿するのを躊躇していました。

ざっくりな内容

とある精神科医の目線という設定で、1982年生まれのごく普通の韓国人女性の人生を淡々と描写した小説です。面白いなと思ったのは、主人公のお母さんやお祖母さんについての描写。

世代を超えてつながっていく恨みと願いが絡み合った複雑な感情の鎖を感じます。

主人公の祖母

祖母は、戦争の時代、『家族を扶養する能力も意思もまったくなかった』夫に代わって一人で子供四人を育てたものの、亡くなったり揉めたりして一人の息子しか残らなかったという悲しい歴史を持つ。
そんな祖母について、主人公はこう観察する。

(祖母は)空しく悲惨な境遇に陥った自分を 、次のような理解に苦しむ論理で慰めていた 。
「それでも四人も息子を産んだから 、こうやって今 、息子が用意してくれたあったかいごはんを食べ 、あったかいオンドルでぬくぬくと寝られるんだ。息子は少なくとも四人はいなくちゃね 」

そんな祖母のごはんや寝床を用意しているのは息子である主人公の父ではなく、母である。

主人公の母

母は、息子ではなく、娘とわかった子を中絶せざるを得なかった過去を抱える。姑の世話をし、内職仕事で必死に家計を支え、財テクと事業で資産をなし、娘に学をつけさせた。

自分も先生になりたかったが、そんな時代じゃなかった。

母が先生になりたかったという事実を知って、主人公は母にも「お母さん」ではない自分の人生があったかもしれないという事実に驚く。

そして、こう思う。

お母さんは自分の人生を 、私のお母さんになったことを後悔しているのだろうか 。長いスカ ートの裾をグッと押さえつけている 、小さいけれどずっしりと重い石ころ 。キム ・ジヨン氏は自分がそんなものになったような気がしてなぜか悲しかった 。

(女児の中絶により、男女比がアンバランスになっているというのは過去の話ではなく、現代に引き継がれている事実とのことです。)

母や祖母世代が、色々な矛盾をやり過ごしたり正当化したりしながら一生懸命生きてきた記憶。そうやって生み出された娘世代への不安や期待が複雑な関係を生む。

読みながら、祖母や母親について思っていたことを改めて思い出しました。
日本では韓国とは若干状況は違うけれど、この感覚は分かる。

母は、もし母でなかったらどんな人生だったんだろう?

晩年いつも寂しそうだった祖母は幸せだったのだろうか?

わたしは同じような人生を送りたいのだろうか?

いつも考えさせられながら生きている気がする。
そんな祖母、母の愛情と手間を目一杯受けて育てられたからこそ、悩む。


「女性として生きるモヤモヤ」の追体験

本筋である、主人公キム・ジオンの体験についても、現実のデータを引用しつつ、細かな心情まできっちり書かれています。

自分が体験しているかのようにリアルです。

女性として生きたらこんなことが起きる、という話が流れるように進む。他人の人生を再現し、追体験し、共有できる形にしてくれる。それこそが本の力なのだと妙に納得します。

よく女の人たちが言っている「モヤモヤ」は本当に的確な表現で、あえて言語化しても様々な小さな体験や違和感の積み重ねなのです。だから、モヤモヤする。個別の出来事を断片的に伝えても、問題の本質が伝わらない歯がゆさがある。

ふとした家族や身近な人の発言に、ビリビリと苛立つことある。

なんで、あえて自分が議題提起して空気を乱さないといけないのだろう?同じ時の同じ空間を生きているのに。。

いつも男子が部長だろうと、顔面でランク付けされようと、インカレサークルに入れない、、ひとつひとつは本当に大したこと無いんです。

ただ、それが幾重にも重なり、全体がまとわり付くような、押さえ付けられるような感覚になる。

うまく表現できないから、共有できない。。明確な差別までいかないから我慢できてしまう部分もあったりして、建設的に話し合えない。そこに難しさがある。

そんなマイノリティ側の持つ難しさや痛みや悲しみを、そのまま切りとって、閉じ込めたのがこの本です。

お嬢さんや奥さんなど、身近な女性がいらっしゃる方は、ぜひ一緒に読んでみてほしいな、と思いました。




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