綾野剛さん沼に爆速で転がり落ちた話


突然ですが、まずはこちらをご覧ください。

2023年12月30日 MIU404を見始める
(私へ 呼び捨てにするな 私より)
 2024年1月1日 6話まで来た
その2日後 無事完走

2024年に、ついに「MIU404」を履修しました。
本当に良すぎてそのまま留年(n週目)を選んだよ。単位もらって卒業したくないよずっと観ていたい。

バディ厨を絶対に逃さないマンことMIU404が言わずと知れた神ドラマというのは、放送当時の2020年からずっと語り続けられていることだと思う。
現に、年末年始の一挙放送を観るまでに何人の人に「観てないの?絶対好きだよ!観なよ!」と布教されてきたことか。根気強く私におすすめしてくれた皆さま、本当に本当にありがとうございました。

今回、私はこのMIU404をきっかけとした綾野剛さんの沼落ちブログを書こうとしています。まだまだ私という人間の立ち位置としてはお茶の間に過ぎず、しばらくはご本人が出演されてきた作品や、深い愛を注ぎ続けているファンの皆さまの言葉から日々学んでいこうとしている新規中の新規ですが、「所謂沼落ちブログ的な新鮮な悲鳴を残しておけば、後々自分の酒の肴にでもなるのでは?」というあまりにもオタク純度高い理由で今文字を打っています。文字の並びが自分を実験台にするマッドサイエンティストすぎる。



◾️はじめに

私について簡単に紹介します。
・アイドルグループSixTONESと舞台界隈のオタク
・綾野剛さんについてはもちろん名前は存じていたが、ぼんやり知っている程度だった
・2022年にドラマ「オールドルーキー」にSixTONESメンバーの田中樹さんが出演したことによりドラマを完走、改めて綾野剛さんを意識するきっかけになった
・年末年始の「MIU404」の一挙放送と「カラオケ行こ!」でおしまいに

そもそも、私が綾野剛さんの演技を観たのは初めてではありませんでした。
記憶を辿れば「クローズZERO Ⅱ」(2009年)で強烈な印象を植え付けられていたし、その後「シュアリー・サムデイ」(2010年)や「ピースオブケイク」(2015年)「怒り」(2016年)などでスクリーン越しに観ていたはず。数々のドラマでその演技に触れていたはずだし、第2シリーズまで放送されていた「コウノドリ」は毎週ボロ泣きしながら観ていました。

今思えば、「この人の演技を観たい」と思って映画館に足を運ばずとも、テレビを付けずとも、お茶の間の私が度々「綾野剛さん」を目にしていて、記憶にも残っていて、それってすごいことだなと思います。そして、今では「綾野剛さんの演技を観たい」がために色々な作品を履修し続けている日々。今日も元気に底なし沼でゴボゴボ溺れています。

あの頃の私は、数年後自分が「MIU404」と「カラオケ行こ!」のコンボでこんな狂い方をするとは想像もしていませんでした。

◾️「カラオケ行こ!」

狂「あいつ、もう『カラオケ行こ!』しばらく観ない言うて泣いとったけど、ズブズブやったな(笑)」←聡実くんにかわいそうなオタク(私)のことを説明してくれる成田狂児さん

結論を言うと、2月上旬現在で計8回観ることになりました。その後半券キャンペーン第2弾が決定し、最低でもあと3回、つまり最終的には記念すべき2桁の大台に乗る予定です。今まで生きてきて1番映画館に通っている。

2X歳社会人、人生初のトミカ納車を経験。

元々この「カラオケ行こ!」の原作を読んでおり、この作品が映画化すると知った時、今思えば偉そうに「あの非日常的な、同時に超日常的な世界観を映像で体感できるものなのだろうか?」とドキドキしていました。あほたわけすぎる。

綾野狂児はじめ、映画「カラオケ行こ!」の良すぎポイントなんて星の数ほどあるので今回は泣く泣く数点に絞って。

「自分で進んで来たんやから素直に聞いたってくれ、ね?」/「じゃあ聡実くん、最後にひと言何か言うたって、ね?

聡実くんがヤクザたちに歌のアドバイスをするシーンより

ここの「ね?」の使い分け、あまりにも天才じゃないですか?たったのひらがな一文字で「ブラック企業勤務(本業)」も「怯える25歳年下の友人へ向けた柔らかい優しさ」も伝わってしまう発音。私が初めて「綾野剛さん…(感嘆)」になった瞬間でした。

ルビーの指環が好きすぎて、私も今後面倒な場面に出会ったら「この曲はキョージとの思い出の曲やねん…」で難を逃れたい。少年時代を歌う時の絶妙な色気、あれ何ですか?本当にありがとう。カメラアングルが移動しても永遠に終わらない脚からしか得られない驚きと栄養があります。

中学生の聡実くんのあの時期だからこその青々しさも、そこに成田狂児という非日常が混ざるところも、2人だけが共有したあのひとときの日常が、感情が、映画という形を通してより立体的に見えた。公式ビジュアルブックで触れられていた「映画化」ってこういうことか、と感動した。何回も繰り返し観ている今でも新鮮に感動します。

齋藤潤くん/岡聡実くんの「紅」が映像という半永久的な形で残ること、本当に本当に嬉しい。

そして、綾野剛さんの「成田狂児」そして原作に対する解釈の深さと愛情が至るところに散りばめられていて、「綾野剛さんだからこそ観れた成田狂児」なのだなと感じました。

綾野剛さん「(狂児の例の刺青について)本当に組長が描いたのかなって実はちょっとどこかで思ってまして」「あれ狂児、自分で描いとらんやろうな?っていう絶妙な空気感というか、なぜ3年間も狂児がいなかったのかということも色々と言及されていない部分もあるので、そこは皆さんの中で育んでいただけたらなと思うんですけど」

大ヒット御礼舞台挨拶より

ところで、このことについてずっと私の中で育んでるんですが、もう少しだけお話し聞かせてもらってもいいですか?

◾️狂いの始まり

ここからは、実際に綾野剛さんが出演されている作品を履修して行った順に記録をしていきます。誰の参考にならない感想の羅列ばかりですが、一部作品のネタバレも含みますのでご注意ください。

記録し始めてから気づいたのですが、この勢いだと全部の作品を長々と書きかねないので、期間を2/5〜2/22の17日間に絞ってみました。

こちらが実際の履修スケジュールです。

水色:映画館へ実際に足を運んだもの
ピンク:ドラマ オレンジ:映画作品

改めて自分の怒涛の履修スピードを見返すと、いかに自分にとって綾野剛さんとの出会いが衝撃的だったのかが分かります。マリオで言う無敵のスター状態。それも制限時間がない。誰か俺を止めてくれ。

いち「作品/キャラクター」だけに止まらず、その演者さんをもっと知りたい!と思った時に多くの人がする行動。それはXを始めとしたインターネットの世界から情報収集することでした。

・「空飛ぶ広報室」(2013年)

そこでたびたび目にしていたのが、「かわいい綾野剛さんだったら『空飛ぶ広報室』がおすすめ」という情報。そして「カラオケ行こ!」「MIU404」と同じく野木さんの脚本。
(余談ですが、私はドラマ「アンナチュラル」で人生を狂わされた人です←何かに狂いがちの人生)
そして最後の一押しに別界隈のフォロワーさんから「絶対に観た方がいいですよ!」のひと言。

いや 寝て

結論を言うと、面白すぎて3日で完走した。
空井大祐さん、なんなんですかこのかわいい生き物は。

何よりすごいのが、航空幕僚監部広報室に所属している元戦闘機パイロット、空井大祐さんの夢の実現・挫折・鬱屈した期間・リカとの出会いによって本来の明るさと熱意を取り戻していく過程・松島基地での新たな生き方、その全ての変化にグラデーションがあり、違和感なく人の生涯の一部を見た感覚に陥ったこと。綾野剛さんを通じて「空井大祐さん」の人生を追体験した、初めての映像経験でした。

7話のリカと藤枝が本当は付き合っていないと知った時のごめん寝ポーズみたいな空井さんがかわいすぎて何回も見たし、8話の「2秒ください」のキスシーンを電車の中で見て、良すぎて思わず天を仰いだ。私の気持ちが整うまで600秒いただけませんか。4話のぶーんがアドリブだったの嘘だと言ってくれ。

ちょっと待って………綾野剛さんって………そんなかわいらしい演技もできてしまうの…………?

すでに綾野剛さんをご存知の方々にとっては常識だと思うのですが、今まで「綾野剛さん=かわいい」のイメージがなかなかなかった私にとっては雷が落ちたような衝撃でした。
文字通り、私にとっての終わりの始まりとなる作品でした。

・「アバランチ」(2021年)

もう俺を誰も止められない。止めてくれるな。
連日の寝不足と泣きすぎでボロボロのまま、翌日から次なる綾野剛さん出演作品を探し始めました。
私も人の形をしている以上、生活というものがあります。主に隙間時間を使って履修を進めるため、まずは45分程度で区切ることができ、無理なく少しずつ観られるドラマを中心に攻めることにしました。

そして次に決めたのが2021年放送のドラマ「アバランチ」。

結果、これも夢中になって2日で完走した。
誰ですか?「無理なく少しずつ観られる」って言ってた人は。

羽生さんはじめアバランチのメンバーには口が裂けても言えないけれど、こんなに終わるなと願った悪夢は初めてだった。ずっとしんどくて、希望が強烈な痛みを生みながら折られて、それでももがいて。早くこんな地獄終わってくれと思いながらも、その地獄を仲間と駆け回る羽生という男の美しさたるや。

ヘビースモーカー。コーヒー好き。大切な人からもらったライターとピアス。全部全部ありがとう。

そしてこの作品で印象的だったのは、やはり鮮烈なアクションシーンでした。
作品について調べる中で、西條くん役(どうしても西條くん、と呼びたくなってしまう)の福士蒼汰さんが「見えるんですよ、感情がアクションに」と話しているのを見て、スコンと腑に落ちた感覚がありました。
感情が見えるアクション。怒り、高揚感、やるせなさ、絶望感。躍動する体からキャラクターの鼓動まで感じるのも、私にとっては初めての経験でした。

2024年にして私は絶賛羽生さんロス中だよどうしてくれるんだ。今さらXで「#羽生さんロスの人と繋がりたい」タグでも出したろか。

羽生誠一という人物からは、目を離すと崩れ落ちそうな繊細さも感じていました。
作中では弾を何発撃ち込まれようが地を這う生命力や、笑みをこぼしながら相手に拳を振るう場面が多々あった。と同時にあっさり消えてしまいそうな危うさもあり、宝石みたいな涙を流す人でもあった。5話を永遠に忘れることができない。

柔と剛がただの「二面性」ではなくて、ちゃんとお互いがお互いの裏付けになっているところに驚いた。人生という時間が育んだ複雑さだった。

綾野剛さんが命を吹き込むキャラクターは、なぜだかこの世界で実際に肉体を得た様に、画面の中で本当に生きているように、歳を重ねているように、実在する1人の人間に見えるのだ

・「S -最後の警官-」(2014年/2015年)

Q.綾野剛さん、辛い過去持ちツンデレ凄腕スナイパーまでできるの?
A.できます

おしまいツイート

結果ドラマを同じく2日で走破し、翌日に映画版まで観終わった。さすがに反応速度の鬼・蘇我伊織さんもびっくりのスピード感だろう。あのクールなお顔で「伊織」という名前も天才だと思う。口に出して読みたい日本語に堂々ランクインである。「伊吹藍」も同じく受賞です。おめでとうございます。

地面に落ちた手榴弾や空中に投げられた爆弾を狙い打ちしたり、空中のヘリから遠くのワイヤーを切り落とす天才スナイパー。偶然合流した飲み会では女性に囲まれる。主人公・神御蔵一號に「俺はお前をSとは認めない」と見事なツンデレ布石を打った第1話。犬より猫派。画面越しに痛いくらいに伝わる犯人への憎しみ。決壊しそうでしない涙の膜。

性癖のハッピーセットで何度も無言で膝を打った。
本編とは関係ないけど、ピアスホールがある蘇我伊織さんって………本当に………ありがとう………

当時リアタイしていた方々は「空井さんとリカ(空飛ぶ広報室)」の翌年に「蘇我さんとイルマ」を浴びたってことですよね?ご無事でしたか?

・「最高の離婚」(2013年)

人類を2種類に分けるとすれば、それは「上原諒にダメにされた人」か「これからされる人」だ。
私は当然のごとく前者である。

言葉を選ばずに言うならば、この上原諒という男は世間一般で言うダメ男だ。驚くことに、綾野剛さんはダメ男にもなれる。

実は婚姻届を出すタイミングを逃し、そのまま大学の机にしまっている。相手がいながら複数の女性と関係を持ち、その状況をテトリスに例える。大切な話し合いの途中で自分宛の連絡に返信しようとする。そして(本人なりの意図や考えがあるものの)2度3度と関わりのある女性たちを結果的に傷つけてしまう。
ドラマを観ながら何度も「アンタって子はホンマにもう…」と見知らぬオカン人格が出た。

光生「奥さんに悪いとか思わないんですか?普通、罪悪感感じるでしょ?」上原「はい」
光「はいって…」上「普通、じゃないのかなって思います」光「じゃあなんで婚姻届書いたんですか?」上「結婚したいって言われたので

4話より

「でも…でもね、時々思うんだ。潮見さんと結婚してたら、約束通り潮見さんことだけを好きだったかもなって」「そういう自分は、そっちにいた自分は、多分すごく幸せだったんだろうなって

「にんじんが苦手とか、お酒が苦手とか、犬が苦手とかあるじゃないですか」「彼は、幸せになるのが苦手なんです」「幸せになるのが怖いんです、幸せを望むのが怖いんです」「将来のことを考えたり、そこに何かあったかいものがあると想像すると、それと同じだけ壊れた時のことを思ってしまう、不安になる」

6話より

過去の出来事をきっかけに、今の形が形成された上原諒さん。とても空っぽでさみしい人だと思う。ただそれを踏まえても彼の行動は周りの人を不幸にするものが多いのは事実。そのさみしさを埋めるために周りを傷つける。頭ではそれがだめだと分かっているかもしれないけれど、どうしようもない。

そんな人が、作中で何回もメッタメタにされ、落ち込み、不器用で下手っぴな再チャレンジをしていく様が見ていていとおしいと思ってしまった。
かっこ悪くて、かわいそうで、自業自得で、でも目が離せない。完全に後方腕組み上原ガールズの顔にさせられたのが悔しいです。好き。

今回もまた、綾野剛さんが演じる人の幅広さにただただ驚かされました。
(後日「ヘルタースケルター」(2012年)でまたタイプの違うダメ男を浴びてしまい気絶&感謝…)

・「ドクター・デスの遺産 -BRACK FILE-」(2020年)

まだまだ数は少ないものの、綾野剛さんが出演された作品をいくつか履修してきて気づいたこと。
歩き方や姿勢、目線の運び方に至るまで、どのキャラクターの「らしさ」が自然にあることでした。

警視庁捜査一課・麻生班の刑事。相棒は後輩の高千穂。腎臓を患い入院中の11歳のひとり娘がいて、妻は他界しているため男手ひとつで育てている。刑事としては優秀だが破天荒な直感型の性格で、娘のこととなると感情的になってしまう危うさがある。

映画公式HPより

少し荒めに大股で歩き、座ると重心が片方に寄り、自宅での食事をただ胃を満たすためだけに箸を動かす仕草。娘に自分の作ったお弁当の感想を緊張しながら聞く。
明確な台詞がなくても「この人はこんな人なんだな」と想像させる余白の部分。
作品を観れば観るほど、自分の中でキャラクターへの解像度がメキメキと上がっていくのが楽しかった。

さらに映画版だと「足が遅い」という設定がつけられている犬養さん。
信じられないくらい、本当に、足が遅かった。
かの有名な伊吹藍を知っている人間にとって、犬養さんは全くの別物だった。「違和感なく下手に見せる」って相当の技術が必要なのではないだろうか。
脇腹を痛めながら走る経験、伊吹には無いんだろうな…

北川景子さん演じる高千穂と犬養の居酒屋のシーンはなんぼあってもええので、もっとください。よろしくお願いします。

・「閉鎖病棟-それぞれの朝-」(2019年)

死刑執行が失敗し生きながらえた秀丸は、扱いに困った法務省によって精神病院に送られる。そんな秀丸が出会ったのは、幻聴に苦しむ元サラリーマンのチュウさんと、家庭内暴力を受けている女子高生の由紀。世間に居場所のない3人は、互いに支え合い、懸命に生きていこうとする。しかし、突然の悲劇が彼らを襲う。

人生で2度も「綾野剛さんへの沼落ち」を経験するとは思わなかった。それくらい、作中のチュウさんこと塚本中弥さんという存在から目が離せなかった。物腰柔らかく、儚げで、どこか空虚感みたいなものを感じる雰囲気から一転、発作に飲み込まれた瞬間には見ているこちらの呼吸が無意識に止まるくらいの絶叫を見せる。それに対して自ら苦しむ。憤る。怒る。そして、乗り越え始める。

閉鎖病棟という環境、そしてそこで繰り広げられる物語について、まだ私にはうまく自分の感想や考えを述べられるだけの人生経験が積めていない。叶うならばこの作品は映画館で観たかった。

この「閉鎖病棟」そして「影裏」「楽園」を綾野剛さんご本人が「それまでの5年間で取り組んできた方法論を全て捨てて、大変化を遂げた三部作」と仰っていたことをここで初めて知りました。

・「影裏」(2020年)


「本作で大事にしたのは、”佇む”というのを忘れないこと。この物語は、今野の目線で紡がれていかなきゃいけないと思っています。時間の流れに逆らわず、置いていかれずに今野という役のタイムをしっかりと持つ。それがこの作品にとって、血や肉となって本当の意味で今野の主観の映画になると思います」

「撮影は、『影裏』、『楽園』、『閉鎖病棟』の順番だったんですけど、この三部作では表層的な瞬発力をあてにしないでやってみようと考えていました。わかりやすく言うと、この三部作では髪型も変えていないし、見た目も体重も変えていない。状況や、環境や、置かれている立場が変われば、いかようにでも変容できることを表現すべきだと思って、あえてそうさせてもらいました」

この作品を観る・観た上で、様々なインタビュー記事を読みました。いかにこの3作品が綾野剛さんにとって重要な立ち位置だったかということ、そしてご本人の「演じる」ことに対する深くてひたすらに実直な言葉の数々。

「影裏」は、刑事ドラマで出てくるような大事件や、インパクトのあるアクションシーンはありません。ただ、しとしとと進んでいく主人公・今野秋一の人生をなぞり、その中でじくじくと顔を見せる不穏さが絶妙な作品でした。

私にとって「空飛ぶ広報室」が意識して綾野剛さんを知ろうとした初めての作品、「閉鎖病棟」は2回目の沼落ちで、この「影裏」は確信となる作品になりました。綾野剛さんの演技がたまらなく好きだと。

作品序盤、「綺麗な脚だな〜長いな〜」と思っていたらそれが綾野剛さんだった時の驚き。
「生活感」と「綾野剛さん」の組み合わせってこんなにも詩的な色気があるんだと思った。

コーヒー缶がなかなか開けられずに手こずるところ。松田龍平さん演じる日浅に顔を覗き込まれた時におずおずと見返すところ。丁寧にアイロンをかけるところ。映画を観て泣いてしまうところ。
今野秋一さん、重たさがありつつもずっと弱くてかわいらしい人だった。
この先何度も目線の先にあの人の存在を感じるのだろうなと思いつつ、どうかこの先幸せになってほしいと切に願うキャラクターでした。

余談ですが、柔らかい空気を纏っているキャラクター(上原諒さんや今野秋一さんなど)が不意に目線だけでゾッとするくらいの鋭さを出す瞬間が好きです。ダウニーの香りがするふわふわのタオルの中から研がれた鋭利なナイフが出てきたみたいなひやっとした緊張感がたまらなかった。

・「楽園」(2019年)

本当は、もっと後に、覚悟が決まってから観るつもりだった。Xでは「心身ともに元気な時に観て」の投稿で溢れていたし、かつて私のメンタルをフルボッコにした「怒り」の原作者である吉田修一さんの作品だったからである。(語弊が生まれかねない書き方になってしまったが、この作品は人生の中で忘れられない経験のひとつとなった。)

でもこの数日間で「閉鎖病棟」「影裏」と観てきた私にとって「綾野剛さんご本人が"三部作"と呼ぶ三作品」を他の情報を入れずに見比べられるということは、この先絶対に二度はできない経験だと思った。これらを実際に映画館で観られなかったことは残念でたまらないけれど、すでに三部作が揃った今というタイミングに好きになれたことも幸運だと思う。いやでもやっぱり映画館で浴びたかった。

「コンビニ弁当を1人寂しく食べる」というシーンは「ドクター・デスの遺産」でも出てくるけれど、向こうには「愛する妻と娘」という拠り所があったのに対し、豪士くんには何もなかった。ただただ1人だった。

作品を観終わり、1日と少し経ってからようやく文字を打っている。先述の「閉鎖病棟」と同じく、私のまだまだ浅い人生経験や少ない言葉の引き出しではなかなか上手い言葉が生み出せなかったから。

あの閉ざされた空間で「」とはなんだったのか。それを観ている「私」は100%そうならないと断言出来るのか。明確な「正解」を求めることは人の傷を癒すのか、それとも無意味な傷を増やすのか。常に問われているような作品だった。

だって、作品が終わって早々に「じゃあ犯人って誰だったんだろう…」「豪士くんではなかったかもしれない、もしかしたらあの人だって…」と考えていたから。これじゃ誰か1人を生贄にする彼らと変わらないじゃないか。実際そうなのだ。
山奥の村八分という、今の自分にとっては少し遠い話だが、「誰かを悪にすることで安心してしまう」根っこは同じだ。だからこそ精神が削られた。

作品を観終わった後、関連するインタビューを黙々と読んだ。その中で忘れられないものがある。

劇中、一部、スタントを用いる危険なシーンが含まれているのだが、そのとき、綾野はスタントを務めるアクション部の俳優にこんなお願いをした。
「手を広げて倒れるような、そういうお芝居はやめてください、とお願いしました。そうじゃなくて、自分のことを抱きしめてほしいと。ずっと誰からも抱きしめられなかった豪士だからこそ、あの瞬間だけはせめて自分で自分のことを抱きしめてあげてほしかったんです。

読みながら、嗚咽が出るくらいに大泣きした。綾野剛さんが「中村豪士」になった意味が、「中村豪士」が綾野剛さんでなければならなかった理由が分かったような気がした。この場面はおそらく、1人の少女の名前を呟きながらライターの火を見つめた後のことだと思うのだけれど、思わずそのシーンを振り返って観てしまった。月並みの感想だけれど、本当にすごい方だ、と思った。

自由になった、なってしまった豪士くんは、いまどこで何をしているんだろう?「どこに行っても同じ、変わらない」と呟いていたあなたが、どこか穏やかな楽園で暮らせていたのなら、こんなにも嬉しいことはない。ただ1つ確実に言えることは、あなただったもう1人がちゃんとあなたを抱きしめている、ということだ。

そして、やはり三作品を連続で観たことも私にとって大きな大きな経験となった。
どれも言われてみれば全て「綾野剛さん」なのだ。
でもどの人も全くの別人で、交わることのない世界線を生きていて、それがほとんど姿形が一緒の人によって演じ分けられている。というより、それぞれが存在していた。「演じるとは」ということを根本から叩きつけられた気分だった。

・「最後まで行く」(2023年)

最後まで行く(私の情緒が)

どうして私はよくもこう「高低差」というものを考えずに次の作品を選んだのか。とんでもなかった。綾野剛さん、狂ったバーサーカーモードもできる。

矢崎貴之さんの噂はX上でかねがね伺っていました。1番と言っていいほど観るのを楽しみにしていたキャラクターだった。想像の数十倍クレイジーだった。最高のイカレっぷりだった。最高のボコり・ボコられっぷりだった。想像していた以上に矢崎という男が大好きになった。矢崎のアクスタ欲しい。ふわふわのパンケーキとかと一緒に写真撮りたい。
でも深夜に観たのもあり、矢崎渾身のスマイルのせいでいい大人がしばらくお風呂に入れなかった。

それにしても狂児といい、矢崎といい、クローズZERO Ⅱの漆原凌くんといい、どうしてこんなにも「綾野剛さん×傘」は最高なのか。傘のこと色気と品のモチーフだと思ったの、初めてだったな。

ある意味「超ハッピーエンド」で終わった今作。
叶うのならばぜひとも「最後まで行く」の応援上映の開催をお願いします。

・「ヤクザと家族 The Family」(2021年)

綾野剛さんを知る上で、この作品をいつ観るべきか、ずっと考えていた。いずれ必ず観なくてはならないと思っていた。ただ、相当の覚悟と勇気が必要だった。

この「ヤクザと家族」は、ケン坊こと山本賢治の19歳から39歳までの人生と、彼と彼の「家族」取り巻く時代についての物語である。
もちろん3つの時代はすべて綾野剛さん1人が演じている。何作品観ても、綾野剛さんの役として人生を全うするエネルギーに鳥肌が立つ。
手負いの獣のような若い鋭さも、「親父」を一生守っていくと決めた強い意志も、自分以外の何もかもが変わって呆然とする姿も、すべて1人の体から生まれているなんて。

19歳、最後の「家族」である父親の告別式の喪主となった賢治。
25歳、大切な「家族」のために生きる賢治。
39歳、何もかもを背負いながら「家族」を守ろうとした賢治。

歳を重ねても、身の置き場が変わっても、賢治の繊細で真っ直ぐな根っこの部分は変わっていないのがいとおしかった。と同時にそれが観ている私にとって、それが真綿で首を少しずつ絞められるような苦しさの主たる理由の1つだった。

由香とのお互い意地っ張りなやり取りや、親父に「いい人はいるのか」と問われた時の反応は思春期の初心な男の子を思わせるかわいらしさがあった。いくら見た目が尖っていようと、ヤクザという道を選んでも、中身はそのままだった。

それは39歳になった賢治も同じだった。由香の作った朝ごはんを口にして幸せそうに「おいしい」と口にする。最後に「愛する人たちにもう一度会いたい」ことだけを願う。
いくら拳を振り上げたって、ドスを効かせた声を出したって、その行動の内側にはずっと小さな幸せを守りたいという気持ちだけがあったように思う。

「短い間だったけど、本当の家族みたいに一緒に暮らせて、幸せな時間だった」
「普通の人間になりたかった。普通の生活をしたかった。真面目に働いて、真っ当な人間になって、少し退屈でもいいから、休みの日は一緒に遊んだり…そんな生活がしたかった」

賢治は一貫して「家族に属する普通の人間」になりたがっていた。「家族」を守りたがっていた。
かつて家族のようだった人々から向けられた「あんたのせいで」という理不尽な怨嗟をただ「ごめんな」と受け止めていた。自分を刺した細野の顔をいとおしげに撫でた。「自分の立ち位置」を理解しつつも、本人の小さな願いが透けて見えるのがただただ苦しかった。

賢治は、若い翼や彩たちから憎しみや罪を奪って全て背負い、時代と共に海に沈んでいった。名残惜しそうに、でもどこか満足げに地上の光を見つめながら。
山本賢治さん。裏の道を歩く人だったけれど、誰よりも眩しい人だったよ。その一瞬の火花みたいな人生が美しかった。でもやっぱりもっと幸福とともに生きてほしかった。

この作品に「理不尽」とか「無常」とか、そういう単語を思わず連想するけれど、賢治はそれに敗北はしなかったと信じている。

「中村、何やってるんだヤクザってのは」
「はい、ヤクザってのは義理人情を重んじ、男を磨き、男の道を極めることと自分は思っております」

全てを観た後には堪える台詞だけど、やっぱり真面目な中村の兄貴のこの言葉が好きで。
裏の世界で生きるということは、それ相応の業を背負うことになるけれど、賢治は柴咲組という場所で、ヤクザとして、この生き方をしたんだなと振り返って思う。

大袈裟な言い方に聞こえてしまうけれど、人生の中で出会うことができてよかったと思えた作品でした。綾野剛さん、本当にありがとうございます。

そして、同じくヤクザを演じる「カラオケ行こ!」に対しても新しい感情や目線が生まれたのでした。そして物語はファミレスに続いていくわけですが………………(おしまい)

◾️おわりに

「所謂沼落ちブログ的な新鮮な悲鳴を残しておけば、後々自分の酒の肴にでもなるのでは?」という軽い気持ちで始めた履修日記。
まさか自分がここまでのスピードで転がり落ちるとは思わなかったし、それでも今だなお底が見えてこない綾野剛さんの魅力って凄まじい。気がついたらこのブログが1万字を超えていました。

この沼落ちブログを書いている今も新たに「リップヴァンウィンクルの花嫁」を観始めているし、「花腐し」を観に映画館へ足を運ぶ予定だし、まだまだ観ていない作品も数多くある。
並行して映像作品だけでなく「 胎響 」や「Portrait」などの写真集も見た(単純に作品そのもののボリュームと1枚1枚の重たさで読了までに数日かかった)し、良いと聞いた情熱大陸によるドキュメンタリーも購入した。これもまた、覚悟が決まったら対戦予定だ。これから新しく知れることがたくさんある。こんな嬉しいことがあるか。

私がここまで綾野剛さんという人を見るようになった理由がもう1つあります。
このブログの序盤で触れた「カラオケ行こ!」の大ヒット御礼舞台挨拶です。
神様が「アンタもう…覚悟決めや」と言ってくださったのか、大変幸運なことに2月5日の舞台挨拶含む上映会に参加してきました。「他の誰でもない綾野剛さん」を初めて目にしました。

その中で、齋藤潤さんが綾野剛さんへお手紙を読む場面がありました。ただのオタクなのに、勝手にめちゃくちゃ泣いた。その言葉たちを受け、綾野剛さんが話した言葉が忘れられませんでした。

「オーディションの時、出会った時から今日まで、そしてこれから、『カラオケ行こ!』という作品・原作・現場…それは彼(齋藤潤さん)の俳優としての、役者としての誕生を目撃した瞬間だと思っています」
「これからの彼をどう僕たちがちゃんと見つめ続けるっていうこともとても大切だと思っていて、その"見つめ"が彼を成長させ、育てていくと思っています。僕も、多分皆さんもそのように皆さんに育てていただきました。ですからこれからもずっと見つめ続けていきますし、必ずまた共演しましょう」

今回映画初主演となる齋藤潤さんに対する綾野剛さんの目線は、様々なインタビューを通してひしひしと伝わってきていました。
その目線の核にあるのが「僕も同じように育ててもらった」経験。若い世代に、自分がやってもらったことを繋いでいく姿。直前に書いた賢治じゃないけれど、まさに「義理人情の人」だと思った。
今まで映像作品に熱心ではなかった私にとって、画面の向こうの演者さんの素の部分を見て心が震えた初めての経験でした。

綾野剛さんを知り始めてから、ようやく2ヶ月ほどになろうとしています。私が目にした・耳にしたことはほんの一部で、まだまだ圧倒的に知らないことばかりです。それでもここまで魅力されてしまった。

ご本人にはこのまとまりのないブログの存在を絶対に知ってほしくはないし、知ることもないと思うけれど、1人の人間が「綾野剛さんという人を知れて、これからも知り続けられることが本当に幸せです」と強く思っていることは何かの形で伝えられればいいなと願います。

稚拙な文章かつ、新規ゆえもしかすると解釈がずれた内容も多くあったかと思います。もし「ここは違うよ」という点があれば、こっそり教えてもらえると嬉しいです。ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

さて、次いつ「カラオケ行こ!」に行こうかな?

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