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「まつおか」の歴史 ~ こってり仕立て #1

こんにちは。
「お惣菜のまつおか」note担当の奥村です。

前回、第一回目の投稿で「まつおか」としてのnoteのこれからを書いたのですが、はて、美味しいはなし云々の前に「まつおか」がどんなお惣菜屋なのかもっとお伝えしないと、説得力に欠けるんでないかい?と思えてきました。

とはいえ入社したばかり、「まつおか」についてあっさりした知識しかありません。

「歩み」入社するとコレもらえます。

もちろん最初に貰ったこの冊子「歩み」は読んだのですが、現実の歩みに比べたら、透き通ったおすまし程度のあっさり具合に違いありません…。

どうせだったら、どて煮くらいのこってり濃い知識にしてみようではないかと思い至り、で、それって誰に聞いたらいいんですか?と隣の席の上司に聞いてみました。すると帰ってきた答え「それは社長だねぇ」。

「まつおか」は、松岡まち子現社長が生み出し、今日まで育てた企業。全て見てきたのは他でもない社長。そりゃあ社長に直接聞くのが一番リアルに決まってる!
と、勢いだけで取材申し込みしたはいいものの、緊張しておなかがキューンとしてきたぞ…。

誕生のきっかけ、それは想像の斜め上だった。

そんなこんなで取材当日。
ほっ、本日は宜しくお願いします!

松岡まち子社長!諸事情により別日に撮影した写真。実際の取材はもっとくだけた雰囲気。

社長:よろしくね。何から話したらいいかな?

まず伺いたかったのは、冒頭の冊子「歩み」に載っていた仰天エピソード
「まつおか」を始めたきっかけは100円のコンピューター占いだった件です。あれって本当なんでしょうか…?

社長:うん、あれは本当。今も大事にとってあるよ。

ほんとだった。

その昔、まつおかは今のような「お惣菜屋」ではなく、ハムのギフトを販売していました。それに加え、社長が考案した“香豚煮(こうとんに)“が大ヒット。全国の物産展から声がかかるようになり、各地を飛び回る毎日だったそうです。

これが香豚煮ダ!チャーシューみたいな。

“香豚煮(こうとんに)“ってナニ?と思ったあなた。気になりますよね。店舗では時々しか並ぶことのないレア惣菜。ですが「まつおか」の歴史を語るのに外せない原点ともいえるお惣菜なんです。私は一度しか見たことありません…!どんなお惣菜なのか、こちらも深堀りの必要あり。また社長に聞いて来ます!詳細は別の記事で!

話を戻し、時は1987年、物産展への出店のため函館を訪れていた社長。市内観光に誘われ五稜郭タワーを観に行った折、そこにあった100円の手相占いを何の気なしにやってみたのがすべての始まりとなるのです。

そこに書いてあったのは
「遠出に福あり。事を慎重に進めると晩年に財を成す。」
当時、休む間もなく全国を飛び回っていた社長。忙しさは言うに及ばずの毎日だったことでしょう。そんな中、この言葉にとても勇気づけられたそう。実際に、函館での出店は盛況、香豚煮がよく売れた後のことです。説得力あります。

モチベーションが上がると思考も動き出すもの。この言葉の後押しを受け、社長はさらに考え始めます。そして。

社長:香豚煮に添える事ができる、野菜のお惣菜を一緒に販売してみようと思いついたのね。そうしたら、肉と野菜でバランスのいい食事がすぐ食べられるでしょ。さらにそれをできたてでやろうって。

昔のまつおかのぼり

物産展では香豚煮をその場で煮て、できたてを販売していました。当時はまだそんな販売方法も珍しく、とにかくそれが好評でした。

社長:香豚煮もそうだけど、やっぱりチルド(冷蔵)にすると味が落ちるんだよね。だから料理が出来上がったら絶対そのまま。常温で自然のまま冷めていく方がいいの。そのうちに煮物は味が染みるし、素材の食感や香りが残るしね。その代わり、その日のうちに食べないといけないけど。

きっかけはコンピューター手相占いではあったものの、こうしてお話を伺って紐解いてみれば、香豚煮に真剣に向き合ってきた事、お客様の反応に繊細に耳を傾けてきた事。加えて「お肉と一緒にお野菜も召し上がって欲しい」というホスピタリティ。それらが「できたてのお惣菜屋」に繋がっていたんですね。

1980年代のデパ地下事情

1994年の三越デパート名古屋栄店。

新しいアイデアを抱え、名古屋に帰ってきた社長。早速、お惣菜展開の準備に入ります。
香豚煮の販売店として既に店舗を構えていた「三越・名古屋栄店」のマネージャーさんに相談してみました。

当時(1980年代)のデパ地下は、現在よりもさらに「特別な場所」だったと言います。その為、見た目の華やかな洋惣菜や、有名な料亭の出す上品な和食が売り場のメイン。社長が考えていた「普段のおかず」は「家で作れるもの」として重要視されておらず、”柱回り”と呼ばれる端の一角で少し売られているのみでした。しかもパックされた冷蔵品です。

そんな時代でしたから、百貨店側の反応が気になる所でしたが、三越のマネージャーさんの反応は上々。是非やってみて欲しいとエールをもらい、いよいよ店舗リニューアルに向けて本格始動が始まるのですーーー。

メニュー開発とブレない理念

社長が大切にしているアルバム。写真はほぼこの中から。

まず取り組んだのは、お惣菜開発。
中心になってメニューを考案したのは、社長の実妹でもある、板橋さん
それまでも社長と一緒に仕事をして来た、働く主婦です。

百貨店側からは、プロの料理人を入れた方がいいのでは、とアドバイスされましたが、

社長:それはちょっと違うなと。主婦の代わりに作るおかずなんだから、主婦が考えた方がいい。と思っていたからね。

その考えを崩しませんでした。

あくまで、主婦・お母さんの目線で毎日食卓に並べたいおかず。現在も貫いている「まつおか」の理念です。

板橋さんも同じ理念を胸に、次々とメニューを作り上げました。そんなオープン当時のお惣菜たち。これらの写真はほんの一部ですが、現在もスタメンで店頭に並んでいるものがたくさん!

そんな「まつおかの味」の軸を作った板橋さんは、現在も総料理長として「まつおかの味」を伝えてくださっています。いつもにこにこ、働く皆を気遣ってくださり、いらっしゃると空気がほっこり柔らかくなる、そんな方です。開発秘話とか聞きたすぎる。取材したすぎるー!

松岡社長、板橋さんの姉妹プレーでお店の基盤作りはどんどん進んでいきます。そんなある日「まつおか」の未来に大きく影響を与えることになるビッグアイデアが社長に舞い降りるのです!

※※※

はてさてどんなアイデア…??もっと書きたいんですが、長くなって参りましたので、この辺りで第2話に続く…とさせていただきます。

これ取材で伺ってきた話の2割くらいです!どんだけー!
やっぱり、現実は濃かった。特濃だった。

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