オセッシオは、いろいろと譲る。
「オセシオ」より「オセッシオ」の方が個人的に響きが良いから改名。ちなみにパンチェッタジローラモが発音するイメージの響きである。イタリアーノ。
人生常に何事も「改善」である。「Kaizen」は英語としても通じる。TOYOTAは偉大である。
さて改めて。
オセッシオは、いろいろと譲る。
エレベーターは、ドアを開けておいて最後に降りる。
朝の混雑した地下鉄の駅では、積極的に他人にぶつかっていく様なスタイルは取らない。
自身の知恵や経験、失敗談は特に面白おかしく、友人や知人に譲る。
なぜなのか。それは2つ。
1つは、何かを譲る、譲れるという心の余裕が、人生の豊かさを生むと信じているから。
オセッシオは、人生エンジョイ勢である。一度きりの人生なのだから最高に楽しまなければもったいない。そして人間は、心の余裕がなければ何事も楽しめない。楽しむことが第一優先だから、それを実現させる為に余裕を持つ。
もう1つは、「与えよ、さらば与えられん」だと信じているから。
オセッシオが尊敬するユダヤ人のビジネスパーソンは、こう教えてくれた。「良いか、オセッシオ。ギブ&テイクじゃなくて、ギブ&ギブ&メイビーギブンだ。それがライフサクセスの秘訣だ」と。
「与えよ、さらば与えられん」は新約聖書の一文(=キリスト教の教え)だが、ユダヤ教にも同じような教えがあるという。「因果応報」も似たような考え方認識しているが、これは仏教の教えである。
宗教の垣根を超えるということは、これは生きる上で本質的な教えに違いない。文化、人種、宗教、生活背景、どれにも関係なく。
明日、何かひとつだけ、どんなことでも何でも良い、誰かに譲ってみてはどうだろうか。
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