お世話好きな渋谷区おじさん(オセッシオ) - Wordy Uncle of Shibuya

オセッシオの名でnoteを執筆。1985年生まれ。外資系企業に勤務しつつ自身の会社を経…

お世話好きな渋谷区おじさん(オセッシオ) - Wordy Uncle of Shibuya

オセッシオの名でnoteを執筆。1985年生まれ。外資系企業に勤務しつつ自身の会社を経営。日々感じたことや思ったことを。人生の目的は「楽しい時間を、愛する人達と、食事やスポーツと共に。」

最近の記事

自己紹介#2 - 人生エンジョイ勢

オセッシオは、「人生エンジョイ勢」である。 オセッシオが定義する「人生エンジョイ勢」とは一体どういうことなのか。 それは、「人生一度きり。悲しい・退屈といったネガティブな思いをするより、楽しい・幸せといったポジティブな思いをしながら人生を歩んだ方が良いに決まっている。後悔せずに、楽しむ。常に人生を楽しんでいたい。」このような姿勢や考え方のことである。 なぜか。 それはオセッシオが、「楽しみの欲求」が強い人間だから。 世の中には、様々な欲求の定義がある。「三大欲求」、

    • オセッシオは、予測するーほんやくこんにゃく#4 執筆後記

      「オセッシオは、予測するーほんやくこんにゃく」を書き終えた。このシリーズはオセッシオの処女エッセイ作にもかかわらず、「#2020年代の未来予想図」の投稿コンテスト作品だ。 「執筆後記」の結論を先に述べる。ほんやくこんにゃくシリーズは、「Business Insider賞」の受賞を目標にして書いていた。 なぜか。それは2つ。 それは、Business Insider賞の説明に述べられていた、この部分に対する深い共感。 そして、今回の執筆を通して、「文章を書く事の難しさ」

      • オセッシオは、予測するーほんやくこんにゃく#3

        「オセッシオは、予測するーほんやくこんにゃく#2」の続きである。 翻訳技術やディバイスの進化によってもたらされる未来の変化。それは、「よりスムーズなコミュニケ―ション」に他ならない。 スムーズなコミュニケーション。人間関係の構築においてこれに勝る良いことはない。 ビジネスでも、友人関係でも、夫婦間でも、トラブルの多くは「確認不足」、「行き違い」、「誤解」といったコミュニケーションに起因するからである。トラブルが発生する原因が減るのだから、それは世の中みんな助かってしまう

        • オセッシオは、予測するーほんやくこんにゃく#2

          「オセッシオは、予測するーほんやくこんにゃく#1」の続きである。 端末が英語能力の補完をしてくれるというのは大変ありがたい。国際社会の場、特にビジネスシーンにおいて、英語を第一言語としないことは不利だから。 オセッシオ自身数多くの苦労を味わってきたし、5年以上の経験を積んできた今でもまだ困難に直面することが多い。言いたいことが言えなかったり、自分の考えが上手く英語で表現できなかったり。 そもそも日本人が英語での会話を不得手とするのは当然のことのように思える。テレビやラジ

          オセッシオは、予測するーほんやくこんにゃく#1

          オセッシオは、予測する。 将来間違いなく実現する。2023年までには世に出てくると思う。オセッシオが考えるそれは何か。 ほんやくこんにゃく。ドラえもんの秘密道具の一つである。つまり、言語翻訳機。今世の中に出回っているデバイスの進化版と思っていただきたい。 もちろん、ドラえもんのひみつ道具通りになるとは思っていない。オセッシオの頭に思い描かれている、2023年春発売のウェアラブルデバイスイメージと概要はこんな感じ。 特徴: 1)端末を付けた者同士が、お互い異なった言語で

          オセッシオは、予測するーほんやくこんにゃく#1

          オセッシオは、譲る

          オセッシオは、いろいろと譲る。 「オセシオ」より「オセッシオ」の方が個人的に響きが良いから改名。ちなみにパンチェッタジローラモが発音するイメージの響きである。イタリアーノ。 人生常に何事も「改善」である。「Kaizen」は英語としても通じる。TOYOTAは偉大である。 さて改めて。 オセッシオは、いろいろと譲る。 エレベーターは、ドアを開けておいて最後に降りる。 朝の混雑した地下鉄の駅では、積極的に他人にぶつかっていく様なスタイルは取らない。 自身の知恵や経験、失敗談は

          自己紹介#1

          お世話好きな渋谷区おじさん。長いからオセシオとでもしておく。 港区生まれ渋谷区育ち。母方が実業家なので、その影響を強く受けて育ってきたと思う。その証拠か、サラリーマンをしながら会社を経営。そして妻も起業家。 35年生きてきた。35歳なりに様々な経験をしてきた。それをどうにか残したいとずっと考えていた。自身の経験や知恵を後世に伝えるのは、人間の使命の一つだと思う。 一番最初の記事は難しい。とりあえず今日からスタート。