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相田みつを美術館へ。

『相田みつを』と聞いたら、きっと誰もがまずこれを思い浮かべるだろう。

出典: Pinterest

あまりにも有名な詩である。

でも僕は正直、この詩が好きじゃなかった。
「人間だもの」とか「生きているんだもの」っていう帰結は、逃げているような気がしたから。

もちろん、相田みつをが人類の根源的な命題に帰着するためにどれだけ深い思索を重ねたのかを、僕が想像できていないだけなのは重々承知している。

ただ、元来捻くれている僕からしたら、表現することから逃げてる気がしてならなかった。
人間なのはその通りだ。
当たり前だ。
そんなこと誰でも言える。
普遍的に当てはまることを言って深そうに見せてるだけで、描写を諦めてるだけなんじゃないのか?
そう思えてしかたなかった。

しかも、メディアで相田みつをの詩は「だもの」ばかりが取り沙汰されている。
正直うんざりだった。
それを受け取る人達は、全員本当にこれの深さをきちんと理解しているのか?
「だもの」って言葉の小気味の良さだけで取り上げてないか?
皆が良いというから手放しに思考を停止させて称賛してないか?
僕の疑問は止まらなかった。

だから、ずっとこの美術館を訪ねたかった。
"だもの"じゃない詩が見たかったから。
彼が何を伝えようとしてたのかをこの目で確かめたかったのだ。

1日暇になった夏休みのある日に、僕は相田みつを美術館を訪れた。

この美術館、なんと場所は国際フォーラム地下1階。都内の一等地も一等地である。

こんな場所に来たことがなかった僕は、入り口すらわからず国際フォーラム内をウロウロしてやっと見つけることができた。

中は殆ど人がおらず、静かだった。
館内撮影は禁止だったので写真は撮れなかったが、展示室が5つほどあり、それを順に巡っていくという構造だった。

まず最初の展示室、順路の1番最初に置かれていたのが「人間だもの」だった。

残念ながら、その瞬間は、どうしても感動ができなかった。
「本物だ…」っていう気持ちしか湧かなかった。

だが、他の展示作品はすごく興味深かった。
例えば『一寸千貫』。
これは詩ではなく小噺が書かれていたので、要約するとこんな感じ。
たった一寸(約3cm)の細い柱でも、真っ直ぐ立っていれば千貫(3.75t)の重みにも耐えることができるらしい。
それはつまり、生きる姿勢が真っ直ぐならば、どんな重みにも堪えることができるということ。『苦しい時こそ背筋を伸ばせ!』の精神を持つことが大事。

これを見て金言だなぁと思った。
思い返してみれば、鬱屈としている時は思考と一緒に姿勢が下向きになって、自然と猫背になっている気がした。
打開のヒントなんて、案外そういう小さいものの積み重ねなのかもしれない。

僕はワクワクしながら次の展示室へ向かった。

出典: ameblo.jp

これは本当にその通りだと思った。
時は金なんかじゃない。
だって買えないから。
みんなに平等に与えられてるのに、使い方が人それぞれで不可逆な資産。
そんな「時」の使い方の大事さが身に染みる。
短いながらも20年生きてきたことで、身近な人間の死を何度か経験した。
本当に人間はいつ死ぬかわからないんだなとその度に身につまされる。
だからこそ、この「今」という命を削って、命を賭して全力で生きていかなければいけないなと思わされた。

出典: Pinterest

これにも滅茶苦茶ハッとさせられた。
何かをする時、「がんばります!」と盲目的に発言し、自分を見誤って目標を不適当に設定している人はいないだろうか。
その行動に実質が伴っていない人はいないだろうか。
そんな息巻いて頑張らなくていいから、地に足をつけて出来ることから片付けてこうよと言われた気がした。
『具体的に動く』
僕も心に留めておかねば。

出典: RakutenBLOG

これを見て、何も答えられなかった。
僕はまだ人生で1番欲しいものが分かっていないのだ。
まだ20年しか生きていないからそんなこと当たり前なのだが、前述の通り人はいつ死ぬかわからない。
生き急ぐ必要はないけど、死ぬ時に人生で1番欲しいものが手に入っていたら良いなって思う。
そうなってたら、きっと僕の人生は幸せだったと胸張って言えるのであろうから。

出典: ameblo.jp

テスト終わったらやろう。
忙しい時期終わったらやろう。
そうやって言い訳して先延ばしにしてきたことが山ほどある。
違う。
「今」なんだ。
命を賭してる「今」なんだ。
今、ここで、動き出すんだ。
目の前で力強く発破をかけられている気がした。

本当は、他にも数多くの素晴らしい作品が展示されていたので、もっと紹介したいのだが、キリがなくなってしまいそうなので特に気にいった5作品を紹介させてもらった。
もし気になったら是非自分の足で訪ねてみてください。

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あいだみつを美術館を訪れたことで、僕の中にあった彼に対する誤解がすっきり解けた。
やはり来て正解だった。
彼の言葉には力があった。

大満足で1号館を後にし、2号館に向かう。
だがその途中、
「結局、人間だものは刺さらなかったなぁ。」と思い返していた。
まぁいいか、それはそれで。
こんなにも色々な詩に心打たれたのだから。

そんな思いを抱えながら入った2号館では、入り口正面で映像ガイダンスが流れていた。
内容は、相田みつを氏の御子息である相田一人氏が自ら父の詩を解説する、というもの。
ちょうど『人間だもの』についての解説だったようで、これも何かの縁と思い、聞いてみることにした。
すると、こんな解説が聞けた。

『【人間だから】と言ったら理屈になってしまうんですよ。【人間だもの】という言い回しの力はここにあるんですね。』

その説明は物凄くスッと腑に落ちた。
頭の靄が一瞬にして晴れた気がした。

そうか、「だから」じゃなくて「だもの」なのか。
「人間だから」なんていう理由はこの詩に求められていないのか。

全作品に通じて表現される人間の弱さや愚かさを全部理解した上で、彼はその全てを肯定してくれているのか。
だから世間の共感を得たのか。

自分の中できちんと納得することができた僕は、やっと「人間だもの」を穿った目で見ることをやめられそうな気がした。

そう思って相田みつをの書を改めて見直すと、一文字一文字が生きてるように見えた。
不格好で掠れてる文字の一つ一つが魂の宿った生命体のように。

その瞬間、初めて彼の詩に本当の意味で共感ができた気がした。
いつも斜に構えて物事を捉えてしまう、そんな僕が。
これはかなり大きな発見だった。
僕にも理解できる芸術があったなんて。
こんな僕が感動できたのだから、きっと誰が来ても、心にも響く言葉が一つはあるのではないかと思う。

今、僕の机の前には美術館で買った詩のポストカードが貼られている。
気を抜いて作業をサボっているときに見上げると、その度にハッとさせられてしまう。
いつかは具体的に生きることで「今」という命を無駄にしない人間になりたいものだ。

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