冬こそ、ミニマルに。
来冬とかまじで冬眠したい。
一月とかずっと冬眠したい。
関わる物事、最小限に。
雪と寒さで、自分の暮らしだけでも
大変なんだから、、。
お花に囲まれて、お部屋あったかくして、
好きなDVD観て、たくさん眠って、
お風呂浸かって、ほどよく散歩して。
気が向いたら本読んで、モノカキして、音楽聴いて、
家事して。無理のない仕事量で。
そうやって冬を過ごせたら、
私は雪の降る冬でもご機嫌に過ごせるだろう。
スイスで、知ったやん。
天気の悪い日の、能動的な楽しみ方。
なのに出来てなくない?
単純に今いる場所で、周囲に流されっぱなしで、
なんだか、
「能動的に楽しむ」
ということを実行に移せてなくない?
って、さっき足元に電気ストーブあてて
ソファに寝転びながら思いました。
今日はお昼、塾用テキスト展示会に行って、
雪道運転に往復1時間。
夕方〜は塾でアルバイト。授業4コマ。
雪道運転に往復40分。
雪のある暮らしは、やっぱり、きつい。
今日は結構、やられた。
疲れやすい私。
でもやっぱり、いい自分でいたい。
ありたい自分でいたい。
少なくとも仕事中は。
余裕持って、いつもニコニコしてたい
目の前の生徒さんに、愛を持って接したい
と、思ってる。
週に1回1時間、個別指導。
大人と1対1で過ごす時間って
良くも悪くも10代の生徒さんに、
かなりの影響力があると思う。
あわよくば、自身の授業を通して、
目の前の生徒さんにプラスの影響も
与えられたらいいなと思ってる。
仕事中、ありたい自分でいるためにも、
極力、
授業と授業準備以外で
変に疲れてしまいたくないのである。
豊かな暮らし
何をもって、豊かって定義するかは
人それぞれだと思うけど、
私は、
「幸せを感じられる時間や気力が常にあること」
は、豊かな暮らしにつながると思っている。
そのための発想の転換力とか、余裕、エネルギーは、
いつも自分にあってほしい。
今目指すのは、
少なくても、小さくても、豊かな暮らし。
自分にとって大切なものを、
ちゃんと大切にできている暮らし。
そしてその大切なものの中に
「自分の感覚」が間違いなく入ってて。
というのも、
自分の感覚がストレスや天候により狂ってしまうと、
正しい選択ができなくなったり、過食になったり、
イライラしたり、お腹が痛くなったり、辛くなって
普通に過ごすことすら、難しくなってしまう。
だから、自分の感覚は死守したい。
感覚がちゃんと機能していれば、
誰にも会わない裏道を通って図書館へ
てくてく歩いて本を数冊借に行き、
帰りは街へ遠回り。
ちょっとそこまでベーグルを買いにいく。
とか
モスバーガーをテイクアウトして、
森のような公園にある水辺のそばで
オニオンリング堪能しながら1人ピクニック。
とか
お部屋で自然の音のBGM流しながら、モノカキする。
とか
お金がたくさんかかるようなこと
じゃなくても、ひとりでも
私はかなりの幸せを感じられるのだ。
なんだけど、寒いとか、疲れとか
そういうもので感覚が簡単に麻痺する。
それで思った。
雪国の冬を前向きに生きれたら、凄いって。
やっぱりなんか塞がるよね、、寒いってだけで。
というか、仕事アフター、帰る時
車の上に積もった雪を下ろす作業から始まるのが、
結構萎える。
もちろん、
降ってきたばかりの雪は綺麗だし、ふわふわ。
能動的に、楽しみたいっていう気持ちはある。
ただ、そんな気持ちを持てないくらい
疲れてるときは、雪が降り止まない中、
ただただ淡々と、雪かきを作業としてこなす。
(ちゃんとやっとかないと、運転中
フロントガラスに雪が雪崩のように落ちてきて、
ワイパー動かなくなって、前が見えなくなり、
まじで焦るから、
ちゃんと雪を下ろす必要性はしっかり感じてる)
ただその間、寒い。
また感覚を殺すということに繋がる。
だから冬こそ、関わる物事をミニマムに。
最小限に。
生きるとしても、暖かさと
お花、自然の音、絵本に囲まれていたい。
自身の感覚は守りたい。
冬の最小限、を最上級名詞に言い換えると
それはきっと「冬眠」。
本当は、富山が冬の間、暖かい地域に逃げたい。
逃げた先でちゃんと、いつもの暮らしをして
いつもご機嫌でいたい。
とりあえず帰り道、セブンイレブン寄っちゃった。
美味しそうなスイーツ見つけたから、、、
しっかり、頬張りました。美味しいっっっ。
見た目もなんか可愛くて癒されたっ。
21時半過ぎまで塾にいたので、
頬張ったのは22時をしっかり過ぎてます。
そしてこの後にパスタも食べたっっっっっ。
健康とは正反対な食生活。
これも感覚が麻痺してなければ、
しないはずの生活行為だから。
寒くて疲れた日には、
こういった行為はむしろ
許されるべきなのである。
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