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村上春樹『街とその不確かな壁』


村上春樹の『街とその不確かな壁』を、昨日読了した。
前作、『騎士団長殺し』以来6年ぶりの書下ろしだ。

村上春樹も、またそれを読む私も有限のときを生きていれば
いま、彼の新作を手にし、読むこと……その喜びを静かに噛みしめている。

第一部から第二部へとほぼ一気に(それでも3日を要した)読み、
第三部は少なくなっていく残ページを左手の指で数えながら、ろうそくの火をそっと消すようにして、読み終えた。

心の奥の、深い深い場所に響く小説だった。
いま、『街とその不確かな壁』は、私の心の中の貯水池に、「確かな記憶」として残っている。


カバーと帯を外した『街とその不確かな壁』


中身について記すことは避けたいと思うが、
とても小さな事だけれど、気に掛かることが2つある。

一つは、ある登場人物の名前(姓名が記されている3人)。
過去の作品でも、こんな風に氏名が目立って記されているときには
何らかの仕掛けがあった。
きっと、アナグラムが隠されているのだろうけれど。解けない。
    
二つ目  第二部に登場する“ある野菜”が持つ意味
場違いな場所に置かれた野菜

『カラマーゾフの兄弟』への、或いはドストエフスキーへの
オマージュとして登場したのだろうか? それとも……。

この2つの謎は、緊張感に満ちたこの物語の中で、村上春樹が垣間見せた悪戯心なのだろうか?
それともまったく違う意味を持つことなのか?
謎は簡単には解けそうもない。

※作品タイトルの読点(、)外しについて
原型となった中編「街と、その不確かな壁」から読点が外されたことについて。
今作の「あとがき」でもなんら触れられていないことから、
大きな意味は持たないことだと思われます。
(私見としては「なし」に一票を入れたいと思います)




お読みくださり、ありがとうございます。
見出しの写真は、自宅近くで撮影。
記事中の写真は、帯とカバーを外した『街とその不確かな壁』。
いずれも星川玲撮影。


※追記:2023年6月20日 
 第二部(332ページ)に登場する“野菜”→葱について
直観として
ドストエフスキー作『カラマーゾフの兄弟』が脳裏に浮かびました。
その唐突な登場の仕方は、『カラマーゾフの兄弟』における「一本の葱」を連想させたのです。
真理は未だ不明であり、何が正解なのか分かりません。

しかし
「それが彼に対するなんらかのメッセージであることに疑いの余地はない
(332ページ)

分からないからと放置すべきでないことだけは確かなように思います。