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コロナ禍で迎えた祖父の最期

こんにちは。ライターの悠里です。

5月末に、ずっと闘病中で、たまに私のおしるこの記事にも登場していた祖父を亡くしました。

祖父のことは好きでしたが、自宅での介護や、お互い年を取ったり大人になったりするにつれて、家族の中でもぎくしゃくがありました。家族でも手放しに「好き」と言うのはなかなか難しいことです。

でも、言霊という言葉もあるので、今日は祖父へのネガティブな気持ちはなるべく割愛します。

ぎくしゃくがあったとはいえ、今は祖父の死がとても悲しいです。実家にいたときは祖父とは全然話さなかったのに、「いよいよ最期」というときは、何度もお見舞いに行きました。

人の死というのは、ものすごい力を持っていると思います。例えそんなに好きな相手じゃなかったとしても(祖父のことは好きでしたが)、死の直前にいる人のそばからは簡単に離れられません。

祖父の死の直前、身近にいた人がいなくなってしまうことへの怖さ、祖父がこれから経験する死というものへの怖さから、インターネットでたくさん死について調べました。しかしなかなか体験談みたいなものは出てこず、漠然とした不安はずっと消えませんでした。

今回の記事では、コロナ禍での家族との別れについて書きたいと思います。人はいずれ亡くなるものです。誰かの「死」が目前に迫った人に、この記事が届いたら嬉しいです。

■コロナ禍で入退院を繰り返していた祖父

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祖父はずっと末期がんと闘っていました。数年前に食道がんが見つかり、一時は完治したと思っていました。

2019年の12月に「足が痛い」と歩けない状態にまでなり、救急車を呼んで検査をすると、治ったと思っていた食道がんが足に転移しているとのことでした。がんが転移してしまっているということは、手術で取り除くのは難しいということです。ステージでいうと4で、「なにもしなかったらあと半年しか生きられない」と言われました。

・はじまった入退院の日々

祖父は車椅子になり、放射線治療のために入退院を繰り返すようになりました。放射線治療はきつかったようで、退院したあとは毎回少しずつ痩せ、少しずつ体力がなくなっていました。

・入院したら会えない

祖父の食道がんの再発が発覚したのは2019年の12月だったので、ちょうど新型コロナウイルスが流行しはじめた時期でした。入院中は基本的に面会はNG。退院するまで会えない、という状況でした。

■最後の入院

ずっと病気と闘ってきた祖父が、今年の3月にまた入院してしまいました。理由は治療による副作用で、肺炎になってしまったのです。肺炎から肺気胸になってしまった祖父は、ベッドで寝たきりになり、食事もできなくなってしまいました。

しかしこの時点でもまだ面会は禁止されていました。「もう少し回復したら、面会ができるホスピスに転院しよう」と話していましたが、それも叶わず5月になりました。

病院側から「個室なら面会ができる」という打診があり、別料金を払い、祖父は個室に移動しました。これはちょうどGW、祖父がモルヒネを投与しはじめたタイミングでした。

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モルヒネの投与がはじまるといよいよ最期、と思う人も多いようですがそうでもないみたいです。モルヒネはあくまで痛みの緩和に使う薬なので、緩和ケアでのみ使用するわけではないみたいです。ただ、モルヒネを使いはじめると意識障害が起こってしまう可能性があるので、ここから面会が許可されました。1日1組、15分限定という制約つきでしたが。

・会えないと不安が大きくなる

母から「祖父との面会が許可された」と聞いたとき、ちょうど2日間ほど予定が詰まっていてすぐには会いにいけない状態でした。もう2ヵ月近く会えていないのに、急に会えるようになると、「いよいよか」と身構えてしまいます。

「仕事を休んででも会いに行ったほうがいいか」と聞くと、母は「今日明日どうにかなる状態ではないんだよ。ただ話せなくなるかもしれないから」と理由を教えてくれました。「会えない」「会えていない」ということは、悪い想像を膨らませる要因になると思います。

・祖父と久しぶりの再会

面会が許可されてから2~3日後、祖父と病院で会うことができました。祖父は声をほとんど出せなくなっていましたが、私の顔を見ると「おまえが会いに来てくれたのか」と言う声が聞こえそうなくらい目を丸く開き、しばらくすると痛がりはじめました。

祖父は肋骨が見えるくらい痩せてしまっていたし、ちゃんと話すこともできなかったけれど、会ったことによって漠然とした不安は解消されました。

■いよいよ最期のとき

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面会が許可されてはじめて会った日の数日後、看護師さんから「手足の血行が悪くなっているから、今日会っておいたほうがいい」と言われ、私たち家族は病院に集まりました。

運よく予定がなかった私が一番最初に病院に到着すると(駅から病院まではタクシーを使いました)、少し呼吸が浅くなった祖父がいました。しかし目も開いているし、私の話を理解しているようでした。

結局ありがたいことにその日のうちに息を引きとる、なんてことはなく……。

あとあとお医者さんから聞いたのですが、もともと肺が悪かった祖父は、酸素がいき届かず血行が悪くなる、ということは最期でなくてもあるようです。症状には個人差があるんだということをここで思い知らされました。

そこから1~2週間祖父は頑張りましたが、だんだん弱っていくのは私の目でもわかり、息を引き取りました。家族の中では父が最期に立ち会うことができました。

・「死ぬのは怖くない」と言っていた祖父

祖父はがんの再発が発覚してから、「俺は死ぬのが怖くない」と言っていました。仕事でも趣味でも結果を出し、美人な女性(祖母です)と結婚し、子供にも孫にも恵まれた祖父の人生は、私から見てもとても立派でした。

・一度も家族に会えずに亡くなる人もいる

祖父が元気で話ができるうちに会って、いろんな話をしておきたかった……というのは後悔していました。

祖父が亡くなって1週間ほどたった日、いつものようにFacebookを見ていると、知り合いが「義父が亡くなった」という投稿をしていました。

その人の義理のお父様も、私の祖父と同じ病院で亡くなったようですが、個室じゃなかったからか一度も面会が許されず、病院についたらもう亡くなっていたそうです。

何度か面会できた私たち家族は幸せだったのだと思い知らされました。

■コロナをきっかけに、自分の人生や最期について考えて

2019年から流行しはじめた新型コロナウイルス。1年以上、私たちは普段どおりじゃない生活を強いられています。

「コロナが終わったら〇〇をしたい」「〇〇に行きたい」「〇〇に会いたい」なんて考えがちですが、コロナが収まるまでまだまだ時間はかかりそうですし、その間も時間は進んでいます。私たちは老いていきます。

コロナ禍でも自分の人生や自分の死、老後について50歳以上限定のシニアコミュニティアプリ「おしるこアプリ」を使って、考えてみてください。


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